2011年4月6日水曜日

奇跡


わが家には猫が3匹いる。茶トラ2、ターキッシュアンゴラの雑種らしいのが1。その猫たちを残して家を離れた。

福島第一原発の1号機で3月12日午後3時過ぎ、水素爆発が起きる。14日午前11時ごろには3号機で、15日午前6時すぎには4号機で、同様の爆発事故が起きる。言いようのない不安、終わりの見えない恐怖にかられて、いわきを脱出した。

あとで脱出・帰還組の知人たちに確かめると、ほとんどが同じ15日に行動を起こしている。生存本能とでもいうべきものに突き動かされたのだろう。避難先の西郷村から3月23日に帰宅するまで、9日間ほど家を留守にした。

3匹の猫のうち、古株の「チャー」(茶トラ)は老衰が始まっていた。後ろ足を引きずって歩く。排便もきちんとできなくなった。カミサンが毎日、点々と落ちているものをふき取るしかなくなった。えさも、水も、寝床もあるとはいえ、「チャー」は衰弱して息絶え、ミイラ化しているのではないか。家から遠く離れた避難所でそんな懸念が膨らんだ。

ところがどうだ、9日後の23日、家に帰ると3匹とも元気な姿で現れた。「チャー」はミイラになるどころか、4本の足でちゃんと歩いている=写真。下半身に力が戻り、排便もきちんとできるようになった。カミサンが歓声をあげた。なぜ「チャー」はよみがえったのだろう。奇跡だ、これは。人間がいなかったからか。少なくとも一つはそうだろう。

このところ、犬や猫などペットに焦点を当てた報道が見られる。ペットとともに暮らしてきた人々にとっては、ペットは家族そのものだ。ペットとの死別、生き別れ、再会……。被災地にはペットにまつわる物語も数多くある。海上を漂流していた犬が救助され、飼い主に引き取られたというニュースにも接した。

4月5日の小欄で紹介した55年前の大火事の際にも、やはり猫の奇跡が起きた。わが家の飼い猫の「ミケ」は大火事以後、姿を見せなくなった。ほかのペット同様、焼け死んだのだろうと思われた。

ところが一週間後、私たち家族が身を寄せている親類の石屋の作業場に「ミケ」が姿を現した。自宅から親類宅までは家の前の道を進み、途中から曲がって少し行かなくてはならない。ざっと500メートルは離れている。猫が生きのびたことだけでもすごいのに、飼い主一家が避難しているところを、石屋の作業場をよくぞ嗅ぎ当て、たどり着いたものだ。

私はあまり犬猫に関心はない。が、この「ミケ」だけは特別だ。猫であっても命の尊さを感じさせる存在――大火事が命の本質を浮き彫りにした。

阿武隈高地の田村市でソメイヨシノが咲くのは4月末。いわきの平は、間もなくソメイヨシノが開花する。夏井川渓谷のアカヤシオも咲き始める。阿武隈の高原と、太平洋側の平地のマチとでは地域差がある。桜前線がやがていわきに到着し、夏井川をさかのぼっていくことだろう。

55年前の大火事で学校が3日間休みになったあと、文房具や衣類、食糧などの救援物資をもらいに登校した。物資は校庭に山積みになっていた。それが分配された。驚いたのは、小学校の校庭のへりに植わってあるソメイヨシノが満開になっていたことだ。大火事の熱気で、一晩で開花した。

今度の大震災ではまだ春に出合わない。散歩もしばらく「やめ」だ。ウグイスのさえずりが聞こえるころ、ツバメがいわきに到着するころだが……。近所のハクモクレンが半分、つぼみを開きかけていた。

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