2011年4月11日月曜日

今こそ「東北遷都」を


21年前に書いた文章ですみません。地震に強いところだから――という理由で「阿武隈遷都論」がにぎやかなときだった。「東日本大震災」に打ちのめされた今=写真、論旨としては全く逆のことになるのだが、天地がひっくりかえった、つまり否定が肯定にかわった、ということで受け取っていただけるとありがたい。

1990年1月17日付いわき民報の、わがコラム「みみずのつぶやき」の中の<鬼の末裔として>。きょう(4月11日)は「3・11」から1カ月。午後2時46分、全市的に1分間の黙祷をする。私の中では、鎮魂の意味を込めた「逆説」だ。
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阿武隈って何だろう、と最近よく自問する。かたや遷都論、こなた総合開発構想と、まるで阿武隈に虹がかかったみたいだ。そういう未来に屈託はないのだろうか。

ご存じのように、阿武隈遷都論は地理学の分野から発想されている。リゾート肯定の立場から、米国のディズニーランドのようなものを阿武隈に、と唱えているのもこの学問だ。確かに、鳥の目で日本列島を見ればそうなるのだろう。

だが、阿武隈には現に人が住んでいる。モリアオガエルがいる。ヒメザゼンソウが、タキネミヤマスミレがある。それら人間の、動植物の生活と、阿武隈遷都論は無縁でいいのか。虫の目は切り捨てられていないか。そこが、にわかに注目を集め出した阿武隈の、七彩的未来に屈託する大きな理由でもある。

阿武隈遷都論は、いうならば1200年ぶりにやってきた坂上田村麻呂。その昔、征夷大将軍が成敗した伝説の鬼とは、歴史的な解釈では、中央政府に従わない地方の豪族、阿武隈ではその先住民のリーダーのことである。

阿武隈は、わが墳墓の地。阿武隈の将来は、阿武隈に住む人が考えればいい。鬼の住む地は鬼にまかせよ。一人の阿武隈人として、鬼の末裔として、最近の風潮にはいささか抵抗を感じざるを得ない。
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自分の文章を読み返してまず思ったのは、約1,100年前に東北地方を襲った「貞観(じょうがん)地震」(869年)について、全く知らなかったことである。みぞうの「東日本大震災」だ。歴史を調べたら、「500~1,000年」単位で発生する巨大地震・津波があることがわかった。今回、同じように東北地方の太平洋沖で巨大地震が発生した。

文字通りの「天変地異」だ。国は「フクシマ」を見捨てないあかしとして、何かをしてほしい。その何かとは、たとえば「阿武隈遷都」、いや「東北遷都」だ。

首都機能が「フクシマ」に来る。震災・津波のほかに、原発事故で荒廃しつつあるところに「首都機能」を移転する。こんな明白な国策がほかにあるだろうか。20世紀末には「来ないでほしい」と思っていた「首都機能」だが、「天変地異」にあった21世紀初頭の今は、ぜひ実現してほしいテーマだ。

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