2011年5月28日土曜日

写真集2つ


「サーファー記者」から電話がかかってきた。月曜日(5月23日)だった。「渡したいものがある」という。出先だったので、「家に戻ろうか」「いや、同じ方向に向かっているので」と、出先で落ち合った。

5月19日にできたばかりの写真集『HOPE』(いわき市海岸保全を考える会発行)=写真=をもらった。表紙に「がんばっぺいわき 3・11からの復興」という文字が躍っている。「サーファー記者」が中心になって、いや、独りやむにやまれない気持ちになって、会に諮って緊急に出版したのだろう。

後日、書店に行ったら、震災・原発関連の平積みコーナーに、この写真集が立てかけてあった。

写真集の構成は、3分の2が「3・11」以前の、いわきの各浜の姿、生業、暮らし、祭り、自然などをとらえたものだ。残り3分の1で、「3・11」の惨状・復旧への姿を伝えている。定価500円。売り上げの一部は義援金として活用されるという。

いわきの海を愛して、いわきに根っこを生やした「サーファー記者」の、愛惜と怒りと悲しみのこもった写真集だ。署名はない。が、空撮以外は「サーファー記者」の写真だということは、容易に分かる。得意の海中写真もある。「サーファー記者」は「ダイバー記者」でもある。

あるとき、といってもずいぶん前だが、夏井川渓谷の籠場の滝の話になった。「おい、潜って滝壺の写真を撮ってくれないか。そうしたら、夏井川渓谷の無量庵の物語が完成する」。籠場の滝は「魚止めの滝」だ。滝壺に魚がうようよしているに違いない。「やりますか」となったまま、ともに年を取った。

もう一つ、『HOPE』を印刷した平の八幡印刷からも、少し前、写真集『和』が届いた。こちらは「3・11」前の双葉郡および田村市都路町の姿を伝える。一コマ一コマの風景はそこにそのままあるけれども、もう出合えない「思い出の風景」になってしまうのか。いや、そうさせてはなるまい。

原発事故は山を、町を、海を、人を、生きものを、歴史を、民俗を、思い出を、情愛を、計画を、予定を、その他一切合切を、一瞬にしてご破算にした。

今、しみじみと4歳の孫の言葉をかみしめている。「原発難民」初日の真夜中、へとへとになって西郷村の那須甲子青少年自然の家にたどり着いた。わが一族というか、3家族がそろってやれやれとなったとき、孫がさらりと言ってのけたのだ。「チキュウガオコッタンダヨ」。そうだ、そうなのだ。

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