2011年5月31日火曜日

ホオノキの花


5月が終わる。今年は、3月も、4月も流れるように過ぎた。「4月は残酷な月だ」といったのはT・S・エリオット。エリオットの詩句を心に刻んでいた人間は、「3月こそ残酷な月だ」と、深く思ったことだろう。そして、5月は? 私はいつも草野心平の詩「五月」を思い出す。その一節。

すこし落着いてくれよ五月。
ぼうっと人がたたずむように少し休んでくれよ五月。
       ×
五月は樹木や花たちの溢れるとき。
小鳥たちの恋愛のとき。
雨とうっそうの夏になるまえのひととき五月よ。
落着き休み。
まんべんなく黒子(ほくろ)も足裏も見せてくれよ五月。

5月は花の咲き競うとき、糠漬けを始めるときだ。ところが、どうだ。まともに花と向き合えない。庭の花も、そう。まるで車窓から眺めるように、すぐそこにある花を遠いものとして見ている。

4月のサクラがそうだった。5月の庭の草木の花、イカリソウ・エビネ、そして今はマリーゴールド・シラン・イボタノキ。散歩すれば、「草野の森」のトベラ。まともに見る心の落ち着きがない。

先週の金曜日(5月27日)、小川町の草野心平記念文学館を訪ねた。駐車場につらなる斜面にホオノキがあって、大きな花をつけていた=写真

ホオノキは高木だから、正面から花を撮影したことはない。その花が私の目線と同じところで咲いていた。初めてじっくりホオノキの花を眺めた。5月の終わりに、やっと季節の花と向き合えた。

となれば、もう一つの5月、糠漬けだ。心平は昭和27(1952)年12月、平で高校生を相手に講演した。演題は「文化というもの」。糠漬けを例に「うまく食べたい、色もにおいもよく、うまく食べるにはどうすればいいかを考える」。つまり、文化は持続的な夢の発展によって創造される、夢は文化の原動力だ、と強調した。

そんなことを思い出したのは、警戒区域の浪江町からいわきにやって来た糠床があるからだ。

浪江から東京に避難した人がいる。一時帰宅か立ち入りかはわからないが、とにかく浪江の家から糠床を持ち出した。東京へは持って行けない。で、いわきに住むいとこに糠床を託した。

糠床のいのちを保つために、つまり糠漬けを続けるために、そのいとこの奥さんが米屋に食塩を買いに来た。「祖母の、祖母の、祖母の代から続く糠床」だという。

原発ごときに連綿と続いている食文化を断ち切られてたまるか。といって、手を抜くと糠床はすぐ腐敗する。100年の歴史と伝統がたちまち消滅する。

冬は塩を厚く敷いて休眠させていたことだろう。浪江の糠床よ、これからさらに100年を生き延びるのだ――。ホオノキの花に自然の力を感じ、浪江の糠床に文化の力を感じた人間は、そう念じたくなるのだった。

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