2011年7月10日日曜日

恩師のはがき


知人からの連絡を受けて、知人の同級生である大学の先生(今は名誉教授で横浜住)にいわきの雑誌「うえいぶ」44号を送った。名誉教授はたまたまわが学生時代の国語の先生。私たちが入学する、先生が磐城高校からやって来る。同時期に福島高専(当時は平高専)の空気を吸ったのだった。いちおう教え子になる。

礼状が届いた。はがき2枚とは先生らしい。「ふるさとの惨状に胸つぶれる思いでおります中、なつかしい旧友と若き友のコンビから……」という書き出しで、「うえいぶ」についての感想が、あふれるほどの思いでつづられていた。

吉野せい賞の受賞作品「融解」をはじめ、磐高時代の教え子・小野一雄さんの文章、同じく磐高に奉職したときの最初の教え子・佐藤武弘さんの少年時のノートにも言及している。きちんと「うえいぶ」を読んでくれたことが、まずはうれしかった。むろん、それには恩師としての“教育的配慮”もあったのだろうが。

そして、次は先生の仕事の話。はがきには、文芸誌「新潮」の7月号だか8月号に「新発見庄野潤三の長編」が載ることになっており、その解説を書かされた、とあった。

7月号を買ったら、郡山出身の作家古川日出男が福島の被災地を駆けめぐった“事実小説”とでもいうべき「馬たちよ、それでも光は無垢で」が載っていた。

原発をはさんで、北から見た浜通りと、南のいわきからみた浜通りについての、内なる言葉がつづられている。それは「伝達」を意図したものではない。作家としてのライブ感覚とでもいうべき「表現」だ。それはそれで「原発震災」に対する記録文学のひとつとして評価できる。

新聞に広告が載った日、ヤマニ書房本店へ「新潮」8月号=写真=を買いに行ったら、「きょう1部入ったのですが……」、もう売れてなかった。こんなことは平では珍しい。先生の同級生か教え子でも買いに来たのだろう。いわき駅前のラトブ店に問い合わせたら、まだあるというので、かけつける。

「初公開 庄野潤三『逸見(ヘミ)小学校』――文壇デビュー前に書かれた幻の戦争小説!」。これが、先生が解説を書いた作品である。作品を読む前に、先生の解題を読む。それこそ47年前の先生の印象と同じく、ダンディーな人らしい文章だと思った。

「軍隊と言えば奇人・変人・豪傑がつきものだが、この作品での随一は何と言っても佐藤伝兵衛で、……その間のハラハラ、ドキドキぶりは圧巻である」「八木少尉も一種の奇人なのであるが、……これを『奇人』として切り捨てるのはダイヤモンドをドブに捨てるようなものであろう」というくだりなどは、よく漬かったキムチのように味わい深い。

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