2011年7月14日木曜日

臥龍松


およそ1カ月前、旧浄土宗奥州総本山の專称寺を訪ねた。名刹は「東日本大震災」で大きなダメージを受けた。本堂は「危険」、庫裡は「要注意」の“診断”がなされた。ふもとの「惣門」も傾いた。「惣門」は、応急処置が施された。

專称寺は平の郊外、山崎の小高い丘の中腹にある。夏井川がその丘にさえぎられて大きく左にカーブしながら東流する。境内からは夏井川の河口がある新舞子浜の防風林も遠望できる。右岸には山崎の里が広がり、左岸には中神谷の市街が展開する。左岸の堤防が私の散歩コースでもある。

ひょんなことから專称寺の管理人を知った。いや、正確には次男の同級生が管理人になったのを知った、というべきか。詳しい経緯はわからない。が、脱サラをして浄土門に入り、寺を管理しながら坊さんになるための勉強をしている。

彼が、いわき地域学會のHPで6月10日のわがブログを読み、コメントを寄せたらしいことは、HPを管理している若い仲間から聞いていた。そのあと、私と同い年の知人が遊びに来て、まったく別ルートで若い管理人の話をした。「ぜひ会ってみよう」ということになった。その時点ではまだ、彼が次男の同級生であることを知らない。

7月10日の日曜日、知人の娘さんから苗字を聞いて初めて、次男の同級生が管理人になっていたことを知る。翌々日の火曜日午後、つまりおととい、知人と連絡を取って專称寺を訪ねた。管理人のW君が庫裡の掃除をしていた。

彼は今年1月に得度した。2月から專称寺の管理人をしている。9月に坊さんになるための試験があるという。合格すれば、しばらく修行に出なくてはならない。

「3・11」で受けた專称寺の“症状”を事細かに語ってくれた。本堂は柱が傾いている。文化庁が調査した。復旧・復元には10年くらいの年数と十数億円という費用がかかる。その工事のために車道を拡幅しなくてはならない。境内の庭にある「臥龍松」=写真=も、どうやら撤去しなければならないようだ。難工事である。

6月10日のブログの訂正になるが、本堂の屋根の鬼瓦は「3・11」に落ちたのではない。それ以前の台風で壊れたと、彼が教えてくれた。ま、片方の鬼瓦がないために駆けつけて專称寺の惨状を知り、さらに管理人となったW君に再会したのだから、“誤読”もプラスに作用した、と考えよう。

横倒しになった歴代住職の墓は全部、旧に復している。それを見てほっとした。できることは檀家の協力もあって復旧しつつある。草刈りもそうだという。

地割れと、地盤のゆらぎに伴う傾き。厳しい住環境に身を置きながら、新しい自分づくりを始めた若者の述懐。今は人が恋しいのかもしれない。語って語り続けて、あっという間に2時間が過ぎた。

カネには縁遠い世界だが、ココロのつながり、ヒトの縁は本人次第でいくらでも広げることができる。掃除が第一の修行という心根にさわやかなものを感じながら、再訪を約して寺をあとにした。

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