2011年7月22日金曜日

広野へ


いわきの北、双葉郡の沖で歯科医のダンナさんが釣ったスズキを奥さんが持ってくる――そんな時期になった(ただし、これも去年までの話)。男にはわからない「古裂れ」の世界で、わがカミサンと奥さんが知り合った。

魚を一匹、どんと持ってこられても、三枚におろせない人間には「ありがた迷惑」だ。近所の魚屋さんに持って行った。が、何度も甘えるわけにはいかない。自分でおろさなくては、と台所に立つ。スズキが届くことで、魚のさばき方が少しずつ身についた。「ありがた迷惑」から「ありがたい」に変わった。

その奥さんがきのう(7月21日)、やって来た。家は「大規模半壊」。津波が床下まで襲った。加えて、原発事故の影響から、家族全員が「避難民」になった。すると、空き巣が入った。部屋に足跡が残り、ありとあらゆるものが開いていた。罰当たりめ!

ダンナさんは東京に職を得た。が、いろいろあったらしい。辞表を出して、今は福島市で仕事をしている。単身赴任だ。義父はいわきに戻った。残る女性(奥さんと娘たち)は東京暮らしのまま。三重生活を強いられている。

「暮らしの原点」だった広野町の彼女の家へ、カミサンと同行した。捨てるしかないという古着を10袋ほど回収した。ザ・ピープル(NPO)のルートでリサイクルに回す。

ドライブに出かけて広野の商店街を通ったことがある。のどかな町、といった印象が残る。

国道6号から海側へ下ったところに商店街がある。何軒かは店を開けていたが、おおかたは戸閉めのまま。消防車が止まっていた。消防職員がマンホールのふたを開けて中をのぞいているふうだった。ペシャンコになった古い家。屋根のブルーシート。もうすっかり見慣れた光景だ。

商店街のはずれ、田畑をはさんだ丘の向こうに広野火発の煙突が2本、ニョキッと立っている。それが間近に見える。歯科医院の隣はもう荒地だ。ヒマワリの一種と思われる花が咲いていた=写真。草は伸び放題。道路向かいの自動野菜販売所もクズに覆われていた。人がいなくなるということは、自然が荒れることなのだと、あらためて知る。

「もう太平洋では釣りはできない」とダンナさんは言っているという。今になれば、届いたスズキを相手に悪戦苦闘をした夏がいとおしい。

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