2011年8月11日木曜日

「フクシマ」論を聴く


いわきフォーラム‘90の第350回ミニミニリレー講演会が8月9日夜、いわきニュータウン内の中央台公民館で開かれた。講師は、東大大学院博士課程に在籍中の開沼博さん。話題の単行本『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』にもとづき、<「フクシマ」論とその後>と題して話した=写真。40人近くが聴講した。

開沼さんは3・11以後、修士論文が単行本になり、各紙誌に書評・インタビュー記事が載る、今最も注目されている社会学者だ。いわき市出身で、原発立地町の現地調査にはフォーラム‘90の事務局長氏らが協力した。

事務局長氏は学生時代に開沼さんの祖父と知り合い、両親とも付き合いのある間柄。開沼家と事務局長氏との三代にわたる交流から、地域の片隅での講演会が実現した。

「福島のチベット」と評された双葉郡の町々は原発を誘致することで財政事情が好転し、住民も出稼ぎをしないですむようになる。地域開発へと政界、財界、メディアが動き、地元が応じることで「原子力ムラ」が成立した。

原子力ムラは日本の戦後成長を支えるエネルギーの供給基地としての役割を果たす。が、財政的な恩恵も永遠には続かない。交付金と固定資産税が減ると再び原発、あるいは関連施設を誘致して財政事情を好転させようという動きが強まる。それはもはや「原子力依存症」といってもいいものだった。

4月の新潟県議選。定員2の柏崎市刈羽郡選挙区では原発維持派が再選された。やらせにつながったのではないかと思われるような佐賀県知事の発言もある。「フクシマ」以外では3・11を経験しても、なおこの依存症状態に変わりはない、と開沼さん。中央と地方でいえば地方の植民地化であり、地方の自動的・自発的な服従だ。

開沼さんは中央のメディアの一過性・気まぐれにも注意を喚起した。東京のメディアは東京に放射線の影響が及ぶうちは報道する。影響がないとなったら報道はしぼむ。そのうちに紙面から記事が消える。去年の今ごろは沖縄の基地問題一色だった、今はどうか。まったく報道がなされていないではないか、と。本社がどこにあるかで報道の視点、質が決まるのだ。

「フクシマ」が忘却されることが一番怖い。そうなると、政府が土地を国有化するだの、核廃物捨て場にするだのといった勝手な計画をつくりかねない。今の地元の状況を伝えていくしかない、というのが開沼さんの「その後」の結論だ。

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