2011年8月16日火曜日

23年前の連載記事


いわき民報の東日本大震災写真集『いわきの記憶』が8月12日、福島放送の宵の番組で取り上げられた。<ふくしまの底力――社員の思いがつまった写真集>=写真=と題して、最前線で津波取材を続けた記者2人が登場し、当時の様子と心情を語った。命がけの取材だったことを、あらためて知る。写真集は今もいわきの書店でトップのベストセラーだ。

テレビを見たあとだった。<なにかやったはず、あったはず>。頭に引っかかるものがあった。日曜日(8月14日)朝、突然、「ウミネコに誘われて」というフレーズが思い浮かんだ。そうだ、いわきの海岸線60キロを、北から南へといわき民報の記者が分担してルポしたことがある。その連載記事のタイトルだった。

いわきの沿岸部が大津波で壊滅的な被害に遭った。人命も、財産も、波にさらわれた――被災者はむろんのこと、津波に破壊される前の姿を知っている市民、そして地元記者にとっては、喪失感は計り知れない。その喪失感が<なにかやったはず>の記憶を手繰り寄せた。

新盆回りのあと、いわき総合図書館へ寄って、いわき民報の縮刷版を見る。見当をつけていた昭和63(1988)年の前半、3月号を開いたら、「ウミネコに誘われて――早春のいわき七浜を歩く」があった。

それを手がかりに、始まりと終わりをチェックする。23年前の立春・2月4日にスタートした。「今日は立春。風はまだ冷たいが、歩き虫がムズムズいいだした。さあ出掛けよう。いわきの海岸線60キロ、北から南へ――」。それからほぼ毎日、47回の連載が続く。昭和最後のいわきのハマの姿を、割合ていねいに伝えている。

伝説やタイ漁の名人、薄磯出身の流行歌手、中世城館の主、小名浜のハマの変貌、その他。手前味噌ながら、今読んでも色あせていない。ハマという場所に生きる人間の日常と自然が記されている。そのハマがことごとく津波にやられた今、昔のハマの様子を伝える貴重な資料と言えるのではないか。

いわき民報アーカイブス、である。津波で沿岸部のまちが消えた。せめて、以前の姿を記録にとどめておきたい――となれば、その一つが「ウミネコに誘われて」だと確信する。

写真集は、このお盆に会った人の多くが「買った」と言っている。写真集もアーカイブになるが、写真だけでは弱い。

沿岸部の日常を、同じ市民として、しかし多少は記者としての目=客観的な視点で取材した、長尺の記録。それが「ウミネコに誘われて」である。

地元紙の使命としてこれを“復刻”する。記事のコピーでいいのだが、3・11以前の、ハマの日常はこうだった――ということを、読者サービスの一環としてやる。どうかやってほしい、という思いが募る。

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