2011年9月11日日曜日

新しい隣人


9・11から10年、そして3・11から半年。いやがおうでもその日のことを思い出す。9・11は夜、ミニミニリレー講演会があって、お寺の奥さんの話を聴いたあと、帰宅してテレビをつけたら、旅客機が超高層ビルに突っ込むところが映し出されて目がくぎづけになった。3・11のあの揺れは今も生々しい。大地をのみこむ大津波の映像も。

いわき市の北隣、双葉郡に立地する東電福島第一原発が震災の影響で過酷事故を起こした。広範囲にわたって放射性物質をばらまいた。「福島」は「フクシマ」になった。これによって多くの人の生活が、人生が変わった。

わが家は、海岸からは5キロほど内陸の住宅街にある=写真。さいわい津波の被害とは無縁だった。戸建て住宅のほかに、県営住宅や民間のアパートが散在する。前にも書いたが、この半年の間に双葉郡から避難して来た人がアパートなどに入居した。近所でお好み焼き屋を始めた人もいる。

カミサンが実家の米屋の支店を任されている。米のほかに塩を売り、醤油を売る。おばあさんが米を買いに来る。塩を買いに来る。初めて見る顔だ。3・11までは双葉郡に住んでいた。そんな人がほとんど。

大熊町の夫88歳、妻80歳。避難先の会津ではアパートに入っていた。うるさかった。夏は背中が焼けるほど暑かった。冬は1メートルも雪が積もると聞いた。それで、不動産業者に頼んで家を見つけ、いわきに引っ越してきた。先日、一時帰宅をした。線量計がピッピッとなっておっかなかったという。近所の戸建て住宅に住む。

楢葉町から避難して来た老夫婦は夏井川に近い親類の家の納屋に住む。米を運ぶついでに、余っていた布団を届けた。広野町から避難し、四倉町にアパートを借りた夫婦もいる。奥さんがときどき、カミサンのところへ話をしにやって来る。毎週卵を届ける緊急時避難準備区域の川内村民も、近所の県営住宅に部屋を借りた。

わが家の後ろのアパートには、広野町の若い家族が住む。市内久之浜町から避難した人も同じアパートに入っている。

「広報いわき」9月号に、いわき市長と双葉郡8町村長の意見交換会が行われた、という記事が載った。7月28日現在で双葉郡からいわき市に避難している人の一覧表もついている。

楢葉町3762人、富岡町3442人、広野町3145人、浪江町1526人、大熊町1446人、双葉町658人、川内村339人、葛尾村38人、計1万4256人がいわき市民の新しい隣人になった。今はもっと増えているのではないか。

浜通り南部のいわき市と双葉郡は同じ文化圏に属する。ごみの出し方などの違いはあっても、親類がいる、気候・風土・気質・生活習慣が同じと、自然的・社会的条件が共通する。交通の便もいい。同じ浜通り南部の被災者として共に生きていく、そばにいることを忘れない――「3・11から半年」のきょう、そんなことを再確認するのだった。

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