2011年10月17日月曜日

二つの「梨花」


いわき市立草野心平記念文学館の学芸員嬢に、スポット展示の「吉野せいと三野混沌」をぜひ見てください、と念を押された。10月8日に始まった「新収蔵品展2011」を見たついでに、夫婦の作品を紹介するスポット展示コーナーをちらりと見た。

後日、学芸員嬢から電話がかかってきた。ちゃんと見たのかと言われれば、口をもごもごするしかない。<わかった、ちゃんと見る>。用事があったついでに、再度、文学館へ足を運び、約束を果たすことにした。

自筆資料、書籍(混沌詩集『百姓』)『開墾者』『或る品評会』『ここの主人は誰なのか解らない』『阿武隈の雲』、せい著書『暮鳥と混沌』『洟をたらした神』『道』)、雑誌「海岸線」2(昭和6年2月発行)などが展示されている=写真

夫婦は好間の菊竹山で開墾生活を続けた。4人の男の子と2人の女の子に恵まれた。が、次女の梨花は急性肺炎のためにわずか9カ月余のいのちを生きただけでこの世を去る。その日は昭和5(1930)年12月30日。このとき、混沌36歳、せい31歳だった。

「梨花」をテーマにした肉筆原稿(混沌:詩、せい:散文)を読み比べられる、いや父として、母として梨花とどう向き合ったか――がスポット展示のポイントだろう。

『洟をたらした神』で、せいの「梨花」は広く知られるようになった。が、混沌の「梨花」はどうか。

平成12(2000)年秋に開かれた「三野混沌展」の図録に写真版が収録された以外は、活字になったかどうか、寡聞にして知らない。父親としての情愛のこもった作品を初めて読んだ。梨花の死後、10日あまりたって書かれた。

混沌の「梨花」は、400字詰め原稿用紙を半分にちぎり、それを横にして、マス目を無視して書いた短詩だ。

梨花(リーコ)よ/梨の実のような顔の/エクボを/高い天上のエクボを/私は忘れない//両手に捧げられて/あらしのよろこびをちらした梨花(リーコ)/みんなでお前をあたため/お前の病めつくまておぶうて/かあいがつてあげたよ/ 六・一・一〇

『吉野せい作品集』(弥生書房、1994年刊)に、梨花の死の1カ月後、1月30日に書き起こされ、4月28日まで書き続けられたせいの日記が、「梨花鎮魂」と題して載る。2月13日の記述が胸に刺さる。

「梨花を思ふとき創作を思ふ。梨花を失ふたことに大きな罪悪を感じてゐる自分は、よりよき創作を以て梨花の成長としよう。創作は梨花だ。書くことが即ち梨花を抱いてゐることだ」

混沌の詩には、せいのような決意と直截性はない。代わりに、梨花を抱き上げたときの笑顔を「あらしのよろこびをちらした」と表現する詩人の温かみと包容力がある。せいはその後、現実に足を踏ん張って生き、混沌はその後も詩に生きた。

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