2011年11月13日日曜日

「青鞜」創刊100周年記念講演


いわき駅前再開発ビル「ラトブ」の中にあるいわき市立総合図書館5階展示コーナーで、「雑誌『青鞜』と『新しい女』たちの肖像」展が開かれている。「青鞜」創刊100年を記念した企画展示だ。

「青鞜」と、それにかかわった「新しい女」たちに光を当てた。発起人・平塚らいてう、賛助員・与謝野晶子、社員でのちの発行人・伊藤野枝、社員・田村俊子、そして現二本松市出身の高村智恵子(創刊号ほか表紙絵を提供)、須賀川市出身の水野仙子(社員)の6人が紹介されている。

この企画展を記念する講演会が先日、同図書館4階学習室で開かれた。明治学院大非常勤講師岩田ななつさんが「『青鞜』と福島の女性」と題して話した=写真。「大正ロマン・昭和モダン」に興味があり、図書館の担当者からも声がかかったので、聴講した。

江戸時代には共同の文芸だった<俳諧>が、明治時代には西洋の近代合理主義の影響を受けて個人の文学の<俳句>に変わる。

それと同じように、男性につき従う「良妻賢母」の殻を破り、自我の確立を主張する女性が出現する。先陣を切ったのは、いいところのお嬢さんたち。高等教育を受けていて、物おじをしない。ときに、世間が眉をひそめるようなこともする。明治44(1911)年9月に創刊された女流文芸雑誌「青鞜」が、その牙城だった。

岩田さんは、福島高女で学んだ小笠原貞(父親は福島民報初代社長小笠原貞信)と、水野仙子、高村智恵子の3人を取り上げた。

貞は「青鞜」第2巻9号に小説「泥水」を発表する。岩田さんの解説によれば、「泥水」は父が死んでから家に出入りする青年と関係する母をみて煩悶する、思春期の娘おすみを描く。同じ性を持つ母を通して自分を嫌悪してしまう心理を表現している。

あとで、岩田さん編集の『青鞜文学集』(不二出版)を図書館から借りた。「泥水」のほか、姦通を描いて最初の発禁を食らった荒木郁の「手紙」などが収録されている。子育てに参加しないサラリーマンの夫との確執を描いた岩野清の「枯草」は、現代の家族にも通じる問題をはらむ。

地方にあって、「青鞜」を読むような「新しい女」はいなかったのだろうか。大正14(1925)年にいわきで発行された比佐邦子著『御家庭を訪れて』が、良くも悪くも参考になる。いわき地方の知名人の妻・母・お嬢さんなど女性だけ161人が紹介されている。

比佐邦子はどうやら「新しい女」には否定的だったようである。あるお嬢さんを評してこう書いている。「現代ある一部の女性達が心の深奥な要求を拒み生命そのものに背を向けてゐるやうな婦人解放論者等には見出せない尊さがある」。婦人解放論者とは「青鞜」一派のことに違いない。

どんな本を読んでいるのかという質問に対するお嬢さんの答えは、「婦人雑誌は二三種読んで居りますが新らしいものはむづかしくて読んでもわかりませんからとって居りません」。

「終始つつましやか」なお嬢さんが、やがて歴史に名を残す左翼氏の妻になる。それこそ「新しい女」になる。口で語らず、行動で示さずとも、お嬢さんの内面には「新しい女」の時代の波が届いていたことだろう。

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