2011年11月10日木曜日

「が・ん・ば・つ・ぺ」


週末、孫2人をあずかった。3・11の大震災とそれに伴う原発事故以来、父親は孫を連れて来なくなった。連れて来てもすぐ帰る。その父親が、急にこちらの力を借りないといけなくなった。

母親の出勤時間に合わせて2人を迎えに行く。4歳半と2歳4カ月の男の子。長時間、2人を同時にあずかるのは初めてだ。

原発事故以来、親は祖父母が食べる物を孫に食べさせないようにしている。というより、祖父母の鈍感を警戒している。家庭菜園の野菜はだめ、野生キノコはだめ。土いじりはだめ。よかれと思ってやってきたものほど、若い親は拒む。

で、唯一、冷凍の焼きおにぎり・うどんを用意する。孫たちがそういうものを食べているのを見知っていたので。単に孫をあずかる、なんてことはできなくなった。

朝7時半ごろ。わが家に着くと、上の子はカミサンの指示で店の雨戸を開けた。孫は喜々としてやっている。道路向かいの家のおばさんが、口元をゆるめてそれを眺めている。父親が小学生のころ、同じことをやっていた(やらせていた)。「孫」なのに「せがれ」のような感覚に襲われる。

それが済むと、さっさと2階に上がる。ガンダムのプラモデルの箱が棚の上に積んである。父親が子どものころつくったり、買ったままにしたりしておいたものだ。催促されて15箱ほど取り出した=写真。いろいろ名前がついているらしいが、こちらはさっぱりわからない。

下の子は、というと、やっと母親がいなくても泣かなくなった。上の子があまり興味を示さなくなった三輪車で遊んでいる。

朝から晩まで孫と遊び、孫を観察するのは、「原発難民」として西郷村の那須甲子青少年自然の家で過ごした3月中旬以来だ。7カ月余がたっている。4歳児の成長の速さに驚いた。

数の数え方がまともになった。「1、2、3、5、4、6、……」と適当だったのが、「1、2、3、4、5、6、……、20、21、……」と続く。平仮名も一つひとつ追う。「がんばっぺ いわき」のステッカーを見て、「が・ん・ば・つ・ぺ……」と発語する。

保育園の指導もあるのだろうが、「アカチャン」を超えて小さな、いや手ごわい「ニンゲン」になってきた。その証拠に、こんなことも言った。「ジイジ、〇×のおしりはでかいよ」

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