2011年11月21日月曜日

県議選終わる


東日本大震災と原発事故のために4月実施の予定が延期されていた、福島県議選がきのう(11月20日)、投・開票された。驚きの結果は? 出なかった。いわき市選挙区では民主が沈没し、共産が復活した。双葉郡選挙区は現状維持だった。

福島民報のアンケートによると、立候補者の7割強が「原子力から撤退すべき」とし、9割近くが冷温停止中の福島第二原発について「廃炉にすべき」と答えていた。おおむね「脱原発」で一致していた。人類史上例のない「原発震災」を体験した以上は、当然と言えば当然の流れだろう。既存の路線で再生を――などという愚論は吐きようがない。

わがいわき市選挙区以外に、「原子力ムラ」である双葉郡選挙区はどうなったか。わが家の周辺に双葉郡から避難して来た人たちが少なからずいる。応急仮設住宅もいわき市内に建てられた=写真。そういった人たちと交流が生まれたことが、原発を抱える選挙区への関心につながった。

告示日の朝、いわき市選挙区の候補者よりも早く、双葉郡選挙区の選挙カーが候補者の名前を連呼してわが家の前を通過していった。最初は事情が飲みこめなかった。急きょ、いわき市選挙区に立候補した女性がいたのかと思ったほどだ。彼女は落選した。

県議選のほかに注目していた選挙がある。川内村議選だ。毎週、わが家に卵を持ってくる風見正博さんが敢然と立候補した。新聞でそれを知ったあと、卵をもってきた本人に“インタビュー”した。「3・11」後は「3・11」前と同じであってはいけない。チェルノブイリの事故以来、「脱原発」の活動を展開してきた人らしい挑戦だった。

立候補の弁をつづったチラシを置いていった。「私は三十数年前に理想郷を求めて24歳で川内村に入植しました。25年前のチェルノブイリの事故をきっかけに原発のいらない暮らしをめざして脱原発ネットワークに参加しました」という書き出しのあと、こう訴える。

「被災した現地の人にしかわからないことも多いです。国からの指示待ちでなく現地から現状、要望、怒り、想い、そして希望を国、そして世界に発信していかなくてはならないと思います。原発のように取り返しのつかない危険なものをやめるために私たちは一人ひとりが生活を見直すとともに政治も変えていかなくてはならないと思います」

川内村議会は定数10。当日の有効投票数は2107で、326票を取った候補がトップ当選を果たした。最下位当選は122票。「ジバン・カンバン・カバン」とは無縁の彼は57票で次点、法定得票数は獲得した。大事なのはアンガージュマン(政治参加)。川内で初めて街頭演説をした、とか。そのことも含めて、変革への挑戦に拍手を送る。

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