2011年11月28日月曜日

「敗戦の弁」を聴く


川内村議選に出馬して落選した風見正博さんが金曜日(11月25日)、いつものように卵を持ってやって来た。自宅の「獏原人村」で飼っている鶏の卵を、わが家と近辺の何人かが定期購入をしている。その窓口のようなことをカミサンがしている。わが家の方は毎週金曜日、別ルートは火曜日。

「風見さんが来たよ」というので、ここは「敗戦の弁」を聴かなくちゃ――となった。風見さんの奥さんを加えて、4人でコーヒーを飲みながら、だべった。

「川内村から世界に発信を! 私は今立ち上がろうとおもいます!」。彼は敢然と立ちあがった。その心意気がいい、落選したっていいではないか――。ところが本人は、出る以上は勝ちたい、そう思って戦ったのだという。

公約の第一に「国道399号の整備」をかかげた。彼にとっては、川内の中心部、あるいはいわきとつながる大切な生活・経済道路だ。次が「みんなで考えみんなでつくる村の再生と復興」「「エネルギーの自給」「東電の責任追及」「月一回の議会報告」「議員報酬の削減」だ。

逆の順序でみるとわかりやすい、最も重きをおいたのは「議員報酬の削減」だと。3・11以後、議員は何をやってきたのか。その不信感が彼にはある。しかし、挑戦状をたたきつけたのはいいが、地縁・血縁には勝てなかった。新しい関係を切り結ぶまでにはいかなかった。

そして、土曜日。「報道特集」を見ていたら……。風見さんが出てきた=写真。<元東電社員の告白>。福島第一原発の原子炉運転員だったキムラトシオさんが在職中、「獏原人村」へ遊びに行き、風見さんの生き方に影響を受ける。風見さんは当時、キムラさんを東電社員とは知らなかった。

キムラサンは、原発で非常用発電機の浸水事故に遭遇する。津波がきたら、電源は……と上司に訴えると、そのとおりだがタブー、という答えがかえってきた。原子力に未来はない――キムラさんは退職する。

風見さんが持参するミニコミ誌に「小さなくらし」がある。不定期だ。知り合いが編集している。スマトラ沖地震が起きたあと、キムラさんが津波と原発に絡めて今度のような過酷事故を危惧していた。その文章を、再録された最新号で読んだ。「小さなくらし」は「報道特集」でも紹介された。いや、それが取材の端緒になったか。

一寸の虫のようなミニコミ誌にも五分の魂がこもっている。風見さんは風見さんで、次の日放送の「報道特集」のことはひとことも言わなかった。そのへんの抜け方が、らしくていい。

1 件のコメント:

伊澄津左次 さんのコメント...

3.11の後に、もっともらしいことを言っているいる人は著名人も含めていくらでもいます。9.11の時も同様で、あのことでショックを受けたなんて言っている人のことを私はあまり評価できない。まともに考えて行動し、実践している人の言葉にこそ真実がある。