2012年1月5日木曜日

初仕事


2日の「初売り」に合わせて「初仕事」をした。2、3日、4日朝と、いわきで年に1回発行されている雑誌「うえいぶ」の初校に追われた。師走になまけたツケが正月に回ってきただけの話だが。おかげで久しぶりに正月三が日を二日酔いなしで過ごした。

未入稿のものもあるので、どのくらいのボリュームになるのか見当がつかない。が、通常よりは分厚いものになりそうな予感がする。

この雑誌は市民からの投稿を基本にしている。編集作業をしていて面白いのは、思わぬ「発見」があることだ。四倉の知人が「いわきにもいた『坂の上の雲』~菅波政次二等信號兵曹」という探報記事を寄せた。新聞記者ではない。が、新聞記者以上の粘りを発揮した、なかなかの力作だ。

菅波兵曹(四倉出身)は日露戦争に従軍し、第2回旅順港閉塞作戦の際、廣瀬武夫少佐らとともに戦死した。師走、NHKで再放送を含む「坂の上の雲」が放送された。菅波兵曹も登場するというので、注意してスペシャルドラマを見た。

第9回「廣瀬、死す」に菅波兵曹が登場した(らしい)。誰が菅波兵曹なのかわからなかった。ただ、戦死者を東郷平八郎に報告するシーンがあって、名簿がアップされたとき、菅波政次の名が見えた=写真。それだけのことだが、ドラマがぐっと身近なものに感じられた。これも雑誌編集の余得だろう。

四倉がらみでもうひとつ。元日、当欄にコメントを寄せてくださった富山の「かぐら川」さんのブログ「めぐり逢うことばたち」で知ったのだが、明治後半から昭和初期に活躍した作家・演劇評論家の三島霜川(みしまそうせん=1876~1934年)が14、5歳のころ、父(医師)と妹と3人で四倉に住んでいたという。

霜川の作品には四倉および相馬地方を舞台にしたものがある。「福島の地から見る目をもたずして霜川の像をきちんと再現することはできない」「霜川の文学世界の根は富山を超えて広く、深浅はあるものの文学果実も深く豊かなものなのです」と、「かぐら川」さんは言う。偏狭な郷土愛にとらわれない、しごくまっとうな意見だ。

早速、図書館から『ふるさと文学館 富山』と『明治文学全集72』を借りてきて、霜川作品(「埋れ井戸」「村の病院」「青い顔」「孤獨」「虚無」)を読んだ。

たまたまというべきか、霜川はしばらく前にネットで知った。竹久夢二と野口雨情の交遊を探り、夢二と山田順子の線から徳田秋声へとたどり着き、それで秋声の周辺にいる霜川を胸に刻んだ。そのとき、「かぐら川」さんのブログにたどりついていたのかもしれない。

山村暮鳥と交流のあった村田光烈(秋田)が順子の支援者だったこと、秋声が光烈をモデルに「土に癒ゆる」を書いていることも、秋声の年譜から知った。

菅波政次の次は四倉時代の三島霜川を――。四倉の知人にたきつけてみようかな。

2 件のコメント:

かぐら川 さんのコメント...

拙ブログの紹介、有り難うございます。「四倉」が登場する第一作品「ひとつ岩」も、身近なところで読んでいただくことが可能です。
書名を確認して、のちほどお知らせします。

かぐら川 さんのコメント...

“浦続きのはるか浪の荒い浜場には松原があった。その松の中をにげて、塩焼く煙がくろくろと寂しく、淡い夕靄をわけて海の方へなびいている。松原の切れ目から一町ばかりで、四ツ倉の最初の家がある。四ツ倉というのは奥州磐城の一漁村で、苫屋は山際に沿って、おおよそ二百戸余り、斜めに長く二側(ふたがわ)に立ち並んでいる。”と「磐城の四ツ倉」を舞台にしている三島霜川の実質的な処女作「ひとつ岩」は、《福島文学全集〔第一期/小説編〕の「第1巻 明治編」(郷土出版社/2001.10)》に収録されています。
富山でもほとんど読まれていないこの作品を福島の文学として発見し読みやすい形で世に出していただいた福島の文学関係者の方に深く感謝しています。
なお、この書き込みの〔投稿者名:かぐら川〕をクリックしていただくと、「ひとつ岩」の一部を読んでいただくことができます。