2012年1月15日日曜日

飛行機雲


年が明けて半月がたった今も、ぽつりぽつりと年賀状が届く。昨年までのようにドッと来て終わり、ということがない。師走中には出す気になれない――逡巡しながら年を越した人が少なくなかったのだろう。私もそうだった。といっても、毎年のことだが。今年は特に年賀状を書こうという気持ちが薄かった。

3・11後、連絡がとれなくなった川内村の陶芸家夫妻から、先日、年賀状が届いた。半年ほど鎌倉に避難していたという。川内村は緊急時避難準備区域(だった)。「ほぼ川内に帰ってきました。道路も店もなく不便ですが何とかやっています」。「ほぼ」というあたりが完全帰還ではないことを示している。気がかりだった知人の便りにへなへなとなった。

年賀状のほかに、ブログやフエイスブックで知り合った人も少なくない。元日に、なにかより直截的につながることができそうだ、と感じた人がいる。顔を見たこともなければ、どんなことをしている人なのかもわからない。が、年賀状代わりのコメントと、ご本人のブログからそう判断できた。「文は人なり」だ。

富山の「かぐら川」さんの情報に基づき、四倉を舞台にした三島霜川の小説「ひとつ岩」を読むことができた。実はそれより前、「かぐら川」さんに刺激されて2日から総合図書館にある霜川の作品を読み続けている。

霜川は明治後期の小説家。富山で生まれた。14、5歳のころ、父、妹と3人で、四倉に住んだ。「かぐら川」さんの言葉を受けて、私なりに言い換えればこうなる。富山で生を受けた霜川の肉体に魂が入ったのは四倉時代である、と。

大正以後は演劇評論(歌舞伎)で鳴らした。その前から「演藝画報」の常連寄稿家だった。総合図書館に「演藝画報」の復刻版がある。このところ連日、霜川の記事をコピーするために通っている。「ひとつ岩」があったかもしれない四倉・蟹洗海岸へも行ってみた。

その帰り、寄り道をして新舞子海岸から夏井川の堤防へ出た。息抜きだ。車の正面には大景が広がる。山は遠い。青空に飛行機雲が幾筋もできていた。

上空は風が強いのか、飛行機雲は蛇腹状に太く長く延び、交差し、曲がり、先で千切れている=写真。こんなにたくさん飛行機雲が浮かんでいるのも珍しい(この飛行機雲を「地震雲」とみて、いわき民報に連絡した人がいる。きのう、1月14日付1面コラム「片隅抄」に紹介されている。その“判断”を一笑に付す気にはなれない)。

それからの感慨。地上での人の営みだけでなく、大空にも人の行き来する「道」がある。「空の道」はどんどん風に流されていく。人間も目の前に現れては、風に吹かれて去っていく。が、今年の正月は年賀状であれ、ブログであれ、フエイスブックであれ、胸に刻まれるものが少なくなかった。

風に吹き寄せられるように、年賀状で、インターネットで人がやって来た。それを、「原発震災」紀元2年を生きていく励みとしよう。

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