2012年1月24日火曜日

帰還


双葉郡富岡町の知的障がい者施設の入所者と職員が、先日、避難先の千葉県鴨川市からいわき市の県いわき海浜自然の家に移ってきた。

施設に子どもを入所させている親御さんが、わが家(米屋)へ来てカミサンに言った。「帰って来るので迎えに行くんだ」。この人とは顔を合わせればあいさつをし、話もする。区内会の役員になって、そういう関係ができた。区の行事にも率先して協力してくれる。

地元紙に帰って来た記事は載ったのだろうか。寡聞にして知らない。ネットで検索したら、帰還したニュースはなくて、「避難生活の福祉施設利用者176人 第2陣が福島に帰郷 鴨川」という「房日新聞」の記事が目に留まった。「房日新聞」は房総半島南部をエリアにする地域紙だ。館山市に本社、鴨川市に支局がある。

「東日本大震災と原発事故に伴い、鴨川市の県立鴨川青年の家に避難していた福島県福祉事業協会に所属する知的障害者3施設の利用者と職員合わせて176人が福島県へ戻ることになり、18日に同所でお別れ会が開かれた」

どこへ戻るのか。「地元への帰還第2陣として、11月23日の2施設95人に続き、東洋学園児童部、同成人部、東洋育成園の3施設、利用者131人、職員45人が、仮設施設ができるまでの間、福島県いわき海浜自然の家で、避難生活をすることになった」

県いわき海浜自然の家=写真=は、いわき市教育文化事業団が指定管理者だ。昨年4月から管理・運営を受託する予定だったのが、3・11の影響で11月にずれ込んだ。季節外れの秋に、旧知の事業団職員数人が自然の家へ異動した。HPには176人を受け入れたような情報はアップされていない。

鴨川に避難直後、入所児童が一人、海で溺死する事故が起きた。遠く離れた鴨川よりいわきの方が保護者にとっては安心だろう。帰還の報に接すれば、市民も「お帰りなさい」と向き合えるのだが、メディアは情報をつかめなかったか。

それはさておき、鴨川の亀田総合病院の骨折りで福島県内の施設利用者の避難が実現したようである。いわきの、ある特別養護老人施設も同病院のはからいで一時、鴨川へ集団避難をした。医療・福祉ネットワークのなかで同病院の存在が“灯台”になった。震災からしばらくして、いわきの医療・福祉畑に身を置いている知人の話でわかった。

近所の人のつぶやきをきっかけに、福島県民として、いわき市民として鴨川には足を向けて寝られない――そんな思いになっている。
  
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きのう(1月23日)夜、またドドドときた。ネコがびっくりして走り出した。震度はいわきで4、川内で5弱。

震源地は福島県沖なのに、海岸部のいわき市を通り越して阿武隈高地の川内村でなぜ5弱なのか。内陸の湯ノ岳断層その他の動きと関連づけて考えてしまう。家が少しずつ緩んできているのではないか――という実感の延長として、原発もまた余震に損傷度合いがひどくなっているのではないか、という不安がある。心は穏やかではいられない。

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