2012年1月25日水曜日

萩原朔太郎展


草野心平記念文学館で1月21日、萩原朔太郎展が始まった(3月18日まで)。翌日曜日に、朔太郎の孫の映像作家・多摩美大教授萩原朔美さんが講演するというので、出かけた。萩原さんは小説家萩原葉子の子でもある。「祖母と母から聞いたこと」と題して話した。

祖父は詩人、母は小説家。そういう血系のなかでエッセーを書いている。が、母葉子は詩・小説・評論は認めても、エッセーは「雑文」だとして認めなかった。そのあたりのやりとりがおかしかった。

「66歳になっても自分の仕事が見つからない。エッセーしか書けない。なんにもしないで死ぬのか」。文章表現についてのコンプレックスを語り、小説に挑戦する気概を吐露した。

20歳になるかならぬころ、仲間と語り合ったことの一つに次のような文学の“格付け”がある。一番ランクが上なのは創造(詩や小説を書くこと)、次が分析(評論すること)、3番目は伝達(教えること)。エッセーは範疇外だった。文章表現としては当然のことながら、創造的な営みが尊重される。その気持ちは今も変わらない。

母葉子が朔太郎と三好達治について「世紀の出会い」と書いたら、達治からこっぴどくしかられたという話も面白かった。空疎で、手あかにまみれた言葉だったからだろう。

その延長で「山々」とか「花々」とかも使ってはいけない。「富士山」や「ヒマワリ」といったように固有名詞を使え――という話は、よくわかる。できないから悩み、調べる。いわき総合図書館が自分の書斎であり、本棚であるのはそのためだ。

「鳥が飛んでいる」ではなく、なんという鳥が飛んでいるのか。「花が咲いている」ではなく、なんという花が咲いているのか。文章は個別・具体であれ――言葉に対する厳密な態度はしかし、こういう「雑文」にも言えることだ。

萩原さんは若いころ、寺山修司の主宰する「天井桟敷」で演出家をつとめた。講演の冒頭、朔太郎展についての文学館の“演出”について触れた。

文学館に入るとすぐ右手、アクリルの窓というか壁というか、透明な仕切り越しに中庭が見える。真ん中に岩と竹が配されている。そのアクリルパネルに朔太郎の9行の詩「竹」が張られた=写真。「ますぐなるもの生え/するどき青きもの地面に生え、/凍れる冬をつらぬきて、/……」。朔太郎と心平の詩の比較も含め、学芸員の発想のよさをほめた。

前も同じような張り出しがあったが、なんの展覧会だったか忘れた。ただニクイ演出だと思った記憶がある。カネのない文学館はチエを出すしかない。

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