2012年3月19日月曜日

こて絵


いわきはハマ・マチ・ヤマに三区分される。ヤマのすそ野の里の話。そこにカミサンの親類の家がある。昨年5月、避難所で使われていた毛布を届けた。

3・11後、ハマの知人がしばらく避難所で過ごした。避難所が閉鎖されることになり、支給されて下に敷いていた毛布が不要になった。

親類の家では、伯母さんが野菜づくりをしていた。寒さから野菜を守るために毛布をかぶせることがあった。要らない毛布があれば欲しいと言われていて、前に一度届けた。カミサンがそれを思いだしたのだった。

その伯母さんが先日、95歳で亡くなった。10カ月ぶりに親類の家を訪れた。

親類の家には白壁の土蔵がある。白壁だけでも立派に見えるのだが、扉の両脇と高窓にはさらに「こて絵」が施されている(高窓のは「巾着」=写真)。建てられたのは幕末か明治初期かわからないが、文化財級の土蔵には違いない――門外漢ながら、贅を尽くした土蔵を見るたびに圧倒されたものだ。

その土蔵が3・11で激しく傷めつけられた。当主はどうしたものかと悩んでいたが、今度訪ねたら解体することに決めたという。「こて絵」は保存することにした。なんだか壁の崩落が進んだと思ったら、「こて絵」をはがしたためにそんな印象を受けたのだった。扉の右側の壁には「俵と白鼠」、左の壁は……思い出せない。

3・11後、歴史研究家などがボランティアで文化財のレスキュー活動を行った。いわき地域学會の若い仲間がそうだった。彼にならえば、土蔵は古文書や書籍、手紙などと違って「動かない史料」だ。こうした「動かない史料」の救出・保存が課題として浮かび上がった。保存と解体と、引き裂かれた実例を見る思いがした。

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