2012年3月20日火曜日

春分の日


昨年、2011年の「春分の日」は白河市の西方、西郷村の高原にある「那須甲子青少年自然の家」=写真=にいた。

3・11からすぐ福島第一原発がおかしくなった。水素爆発が連続して起きた。で、3月15日午後1時、2台の車に3家族が乗って避難を始めた。原発から遠くへ――国道49号、6号を経由して深夜に着いたところが、標高1000メートル前後の高原にある青少年自然の家。3月23日に帰宅するまで足かけ9日間、そこでお世話になった。

3・11は自然災害。大津波で沿岸部は壊滅的な被害を受けた。そこへ原発の水素爆発が襲いかかった。見た目は被害がそれほどでもなかったいわきの内陸部の住民も、3・12~15あたりにストレスのピークがきた。放射能を恐れて避難する人が相次いだ。「日常」の場と時間を奪われた避難所生活だった。

避難所で知人に会い、後輩に会った。そこで見たことのある人と、帰宅してから道ですれ違った。近所に住んでいながら知らなかったか、あるいはその後、近所に住むようになったか――いずれにしても同じ場所と時間を生きている人には違いない。その人も子や孫とともに避難していたのだった。

再び3・11が過ぎ、3・15が過ぎたら、かえって1年前を日替わりで思い出すようになった。1年前の3月16日は、17日は……。避難所という非日常の環境のなかで最大700人がひしめき、放射能の底なしの怖さに震えていたからこそ、一日一日が鮮明に頭に残っているのだろう。

きょうは「春分の日」。昨年の「春分の日」は避難所で迎えた。先祖の墓参りができないのをはるか西の山からわび、いわきの方に向かって手を合わせるしかなかった。

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