2012年3月21日水曜日

墓参


「春分の日」のきのう(3月20日)昼前、カミサンの実家の墓参りをした。なぜか墓を管理してもらっている寺が二つある。こっちとあっちと、春と秋の年に2回は寺巡りをしなくてはならない。

墓(死者)と家(生者)とのつながりとしては、血系そのものの「主」があり、しかし血系は不明だが家として代々供養しでいる「従」がある。それでもねんごろに焼香し、花を手向けるという気持ちに変わりはない。

ふだんはどうか。死者のことはさっぱり忘れている。が、3・11以来、死んだ人間も、生きている人間も、自然も、かけがえのないもの、よりいとおしいものになった。

昨年は「原発避難民」になって春分の日に墓参りができなかった。その二日後に帰宅した。4月中旬、義父の命日に合わせて墓に参ったら、墓石があらかた倒れていた。

今年の彼岸の入りは土曜日(3月17日)、雨。翌日曜日、伯母の葬式が行われた。雨模様だった。一日おいたきのう(春分の日)は晴れ。カミサンの実家(平・久保町)に車を止めて歩いて寺へ向かった。久保町界隈は「寺町」。実家の前は墓参の車でごった返していた。

墓石はだいぶ復旧していた。が、墓石が消え、真新しい砂利が敷かれて更地になったスポットもある。廃墓、という言葉が浮かんだ。

カミサンの実家の墓も倒れたままになっていた=写真。理由があった。中心的な墓石が倒れて一部欠けたために、同じ石材を使って新しくつくることにしたのだという。墓石に刻まれた文字も再現するという。文字は、義父がわざわざ京都の本山の管長に願って書いてもらった。その書がどこかにしまってあるはず。探し出さなくては――という話だった。

墓参の人波にもまれながら、墓もまた復旧半ば、いやいわきの沿岸部以外では、墓地が一番3・11の被害を受けたのではないかと思った。

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