2012年5月19日土曜日

心平の愛した動物たち展


いわき市立草野心平記念文学館で開かれている企画展「草野心平の愛した動物たち」を見に行った=写真。開幕直後だったから、もう1カ月がたつ。だいたい、見たらすぐブログに書く方だが、この「動物たち」展は(市立美術館で開かれている「宮沢賢治・詩と絵の宇宙――雨ニモマケズの心」展もそうだが)、どうも簡単にはいかない。

前橋で、南京で、小川で、新宿で、国立で……。心平が飼っていた動物は犬・キジ・コイ・ウナギ・雷魚・川エビ・ガチョウ・野バト・ヤギ・シャモ・金魚・琉金・メダカ・タナゴ・トビと、枚挙にいとまがない。学芸員がいわき民報に書いている文章から抽出したが、天山文庫のある川内でも心平は動物と縁が切れなかった。

心平とペットとの関係は、私たちが考えるペットとの関係、距離感とはまるで異なる。「飼う」ではなく「同棲する」ところまでいってしまうのだ。その感覚がつかみきれないために、なんと書いたものかと逡巡してしまう。

ここは文芸評論家の粟津則雄さん(市立草野心平記念文学館長)の文章にすがるしかない。「草野心平のもっとも本質的な特質のひとつは、ひとりひとりの具体的な生への直視である」。この直視力は動物・植物・鉱物・風景にも及ぶ。

心平は人も、人以外も「あいまいで抽象的な観念にとらわれることなく、弱々しい感傷に溺れることなく、その視力の限りをつくして直視した。彼とそれらの対象とのかかわりをつらぬいているのは、ある深く生き生きとした共生感とでもいうべきものだ」

魚だって人間だ。植物だって、動物だって。「雨に濡れて。/独り。/石がいた。/億年を蔵して。/にぶいひかりの。/もやのなかに。」。心平の手にかかると、鉱物もまた人間になる。その逆。写真にある右端のゴリラ「或る肖像」も、左端「ゲリゲといふ蛙」の人物も、私には心平の自画像にみえる。

人と同じようにペットの世話をする。観念ではなく、個別・具体の愛する存在として。ペットとつきあう究極のかたちが生半可な言葉をはじきかえすのだ、きっと。

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