2012年5月28日月曜日

三回忌法要


きのう(5月27日)、いわき市江名の真福寺=写真=で知人の三回忌法要が営まれた。江名は海辺の集落だ。寺からは(急斜面に設けられた墓からもそうだが)、海は見えない。3・11に寺の本堂は「倒壊するかもしれないほど揺れた」(住職)。が、左右からせり出した枝状の小丘が自然の防波堤になって、津波被害は免れたようだ。

江名港周辺ではそのとき――。住宅に車が突っ込み、大型トラックが半分横転しながら道路をさえぎった。崖が崩れた。漁業関連施設も大打撃を受けた。いわき民報社発行の震災写真集『3・11あの日を忘れない いわきの記憶』が伝える惨状だ。

知人の家は港の近くにある。家並みが続き、少し奥まっていたために、家屋への浸水は免れた。「庭に波がサワサワやって来て、沼のようになった。水は黒くて、ブクブクしてね。江名に(嫁いで)来て80年、初めて津波を経験した」と99歳の故人の母上。

寺の本堂は安政元(1854)年=嘉永7年に焼失し、安政4年に再建された。ざっと150年前の古い建物だ。

法要に先立ち、住職が“余震避難”のための心得をのべた。そのときは本人の判断で外へ出てください。でも瓦には気をつけて――。本堂の屋根は独特の勾配をなしている。上部の瓦は滑り台よろしく遠くまで落下するという。確かに一部、屋根瓦が壊れていた。

知人は歴史研究の第一人者だった。野にあって研究を続け、やがていわき市文化財保護審議会の委員になり、晩年は会長を務めた。2年前の5月30日、共通の知人の通夜へ行った深夜、帰宅直後に急死した。本来なら、一回忌の法要に友人・知人を呼ぶところだが、3・11でそれができなかった。

3・11を経験しないでよかった。いや、歴史家だから生きて3・11の惨状を見てほしかった。両方の声がある。

私はこの1年余、何度知人に問いかけたことだろう。歴史上、いわきにはどんな地震・津波があったのか。ちゃんとした「災害史」があれば、犠牲者を減らすことができたのではないか――知人からの答えはむろんない。文字化せずに頭脳にしまわれたままだった膨大な史的知識の喪失をだれもが惜しむ。今もそれは変わらない。

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