2012年6月18日月曜日

暮鳥と「巨人の星」


「おうい雲よ――」と、山村暮鳥は茨城の大洗から磐城平の友らに呼びかけた。その雲は綿雲=写真=だった、と思い定めている。この詩に関しては、雲のかたちが大事だ。ぽっかり、ぽっかり浮かんでいる。でないと、暮鳥のことばのリズムに合わない。

「東日本大震災」支援のために、3・11直後から北茨城市へ入り、そのあといわき市に北進し、以来、同市を拠点に活動中のNGOがある。「シャプラニール=市民による海外協力の会」だ。イトーヨーカドー平店2階で被災者のための交流スペース「ぶらっと」を運営している。

私の同級生が前身の組織の創立メンバーだった。その縁でシャプラとは前からかかわっている。で、わが家の近く、カミサンの伯父(故人)の家がベースキャンプになった。先日、東京から本部の事務局長氏がやって来た。わが家でスタッフとともに懇親の時間を持った。

暮鳥は大正元年から5年3カ月、磐城平で過ごした。その思い出が「おうい雲よ/ゆうゆうと/馬鹿にのんきさうぢゃないか/どこまでゆくんだ/ずっと磐城平の方までゆくんか」になった。酒を飲みながら、なにかの拍子にその詩の話をしたら、事務局長氏が「知ってる、アニメの『巨人の星』に出てきた」という。事務局長氏の子ども時代だ。

ネットで調べたら、確かに「おうい雲よ」の詩が引用されている。第100話。星飛雄馬の初恋の相手、山奥の診療所の看護婦見習い・美奈が、夕方「私の友達」と言って、夕空の雲を見ながら、暮鳥の詩をくちずさむ。

飛雄馬はそのあと美奈の手を握り、「君が雲に語りかけてきたその言葉の半分でもいい、この僕に分けてほしい。僕もあの雲のように君の言葉を聞きたい」と口説いたらしい。が、恋は実らない。美奈は不治の病におかされていた。飛雄馬は金田投手とともに2軍行きとなる。

原作者の梶原一騎は、どんな思いを込めて暮鳥の詩を引用したのだろう。梶原より一回り上の詩人谷川雁は、暮鳥の詩を踏まえてこんな詩を書いた。「雲がゆく/おれもゆく/アジヤのうちにどこか/さびしくてにぎやかで/馬車も食堂も/景色もどろくさいが/ゆったりしたところはないか(以下略)」

谷川雁は九州人。アニメの「山奥の診療所」も九州の宮崎。梶原一騎に谷川雁を意識するところはなかったか。

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