2012年7月22日日曜日

こころ通信・桜通信


被災者のための交流スペース「ぶらっと」=イトーヨーカドー平店2階=に情報コーナーがある。行政の広報紙やNPOの情報紙、イベントの告知チラシなどが並ぶ。

双葉郡浪江町と富岡町の広報紙が胸にグサリとくる。離散町民の生の声を伝える情報紙ともいうべき「浪江のこころ通信」(浪江町)、「TOMIOKA桜通信」(富岡町)が併載されている=写真。3・11後、行政が苦心して編み出した町民との新しい“きずな”のかたちといってよい。

「浪江のこころ通信」は、浪江のこころプロジェクト実行委員会・東北圏地域づくりコンソーシアム推進協議会・浪江町の三者が編集・発行している。東北圏……協議会は、新潟を含む東北7県の地域コミュニティ再生や協働のまちづくりの推進を目的に、大学・NPO・企業・経済団体・行政などが連携したコミュニティ支援ネットワークだ。

東日本大震災と原発事故で、浪江町民は福島県内外に分散避難を余儀なくされた。長期化する避難生活、先の見えない不安の中で、町民はどんな思いで暮らし、ふるさとにどんな思いを抱いているのか。その思いをつなげるために“浪江のこころプロジェクト”が立ち上げられた。(「こころ通信」前文から)

町の広報担当だけではなし得ない、スケールの大きなネットワークの中で取材が進められる。たとえば「広報なみえ」7月号併載の「こころ通信」第13号。京都府や長野県、東京都、あるいは沖縄県などに避難した一家を高崎経済大やNPOが取材した。「桜通信」はどうだろう、町の広報担当だけでやっているのだろうか。

「こころ通信」も「桜通信」も、一人称の言葉で構成されている。震災発生当時の様子、原発事故による避難、今何をして、何を思っているのか、などがわかる。マスメディア・ジャーナリズムとは異なった、「もう一つのジャーナリズム」の実践例、いやマスメディアがカバーしきれないからこそ、行政・NPOが“谷間”を埋めているのだ。

被災者の「私」、あるいは「私たち」のナラティブ(物語)が、私には原発震災の罪深さを告発しているように思われてならない。

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