2012年10月23日火曜日

「平高専」


福島高専の創立50周年記念式典に合わせ、工業化学科(略してC=現・物質工学科)3期生が式典前日(10月19日)、いわき市遠野町の「中根の湯」=写真=で同級会を開いた。機械工学科(略してM)のわれら3人が合流した。14年前に四倉・海気館(今はない)でもCの同級会が開かれ、われらMの人間が加わった。

キーパーソンはC出身の現・同窓会長だ。彼の親戚が平駅(現・いわき駅)近くで喫茶店を開いていた。Cに限らずMの人間も何人か入りびたりになった。地元出身の学生は通学し、通うには遠い中通りや会津、浜通りの北部の人間は学生寮に入った。寮生活もまた、学科を越えた交流を濃密なものにした。

中根の湯の歓迎札に「平高専」とあった。幹事があえて「15の心」に帰るためにそうしたのか、それとも宿の方が「高専」イコール「平」の記憶にとどまっているのか。14市町村合併による「いわき市」の誕生で「平高専」から「福島高専」に改称したのが45年前――。一気に時計が逆回りした。

飲むほどに酔うほどに、「15の心」に刻まれた記憶がよみがえる。矢祭町出身のK。再会するのは海気館での同級会以来だろうか。会った瞬間、名前を呼び交わし合った。今は喜多市と合併した町出身のTも同じ。福島や郡山、会津若松といった市部と違って町村部が出自だ。「〇×出身」といっても分かってもらえなかった。

ところが、町村部出身者は違った。意外と市町村名に通じていた。Kとは中学校の体育の先生(女性)を介して知りあった。わが町の常葉からKの町(矢祭)に先生が転任になった。すらりとした美人だった。高専に入学後、寮で知りあってその話になった、とKがいう。こちらはすっかり忘れていた。

Mだけの飲み会ではこうはならない。壊れたれレコードのように同じことを繰り返す。Cに合流したからこそ、別の視点から「15の心」に触れることができた。隣町の出身者Yにも40年余ぶりに会った。彼らを介してすっかり置き忘れてきた自分に再会したような錯覚におちいった。

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