2013年1月17日木曜日

人生の“伴走”曲


年が明けてからの死亡記事で思わず黙祷した人がいる。歌手の岡本敦郎さん、享年88。昭和29(1954)年発売の「高原列車は行く」が大ヒットした。そのとき、私は6歳。軽快なメロディーと明るく朗らかな歌声が骨にまで響いたせいか、今になってもマイクを向けられるとこの歌を歌う。

作詞は田村郡小野町出身の丘灯至夫、作曲は福島市出身の古関裕而。丘さんの生家である旅館の前には「丘灯至夫生誕の地」の標柱が立つ=写真。とはいえ、作詞・作曲コンビが共に福島県人と知るのはずっとあとだ。まずは歌手の名が、歌声がラジオを通して体にしみこんだ。

昭和30年4月に、小学校に入学した。その年の前後も含めてはやった歌を断片的ながら覚えている。

鶴田浩二「街のサンドイッチマン」、春日八郎「お富さん」「別れの一本杉」、菅原都々子「月がとっても青いから」、宮城まり子「ガード下の靴みがき」、三橋美智也「リンゴ村から」「哀愁列車」……。なぜか「高原列車は行く」だけはすらすら覚えて歌えた。

そのころ、新入児童のいる家では同じ年ごろの子を招いて入学祝いの宴を開くのが習わしだった。その席で、おだてにのって「高原列車は行く」を歌った記憶がある。

生まれて初めて覚え、生まれて初めて人前で歌った歌謡曲――それがのちのち、わが人生の“伴走”曲になる。単純といえば単純な話だが、それもこれも岡本敦郎さんの美声と福島県人コンビの軽やかな詞と曲が溶け合ってこそ、だった。あらためて岡本さんと、阪神・淡路大震災の犠牲者に合掌。

0 件のコメント: