2013年6月28日金曜日

森を巡る

日曜日(6月23日)、夏井川渓谷の森を巡った。昨年11月中旬に紅葉ウオーキングフェスタが行われた。「森の案内人」の一人としてウオーキングに加わって以来だから、7カ月余ぶりだ。遊歩道沿いにある立ち枯れのモミの木が根元から折れ、名前の知らない木の幹に大きな穴がいっぱいできていた=写真。穴をあけたのはキツツキだろう。

溪谷にある埴生の宿(無量庵)の管理人として、雨戸を開けに行くたびに対岸の森を巡った。3・11後は、その習慣が中断した。タマゴタケ、アカモミタケ、チチタケ、ヒラタケ、アミタケ、……。採っても食べられないなら、森を巡る意味がない。そんな気鬱が「森歩き」にブレーキをかけた。

この中断は長すぎる。いつまでもへこんでいてはいられない。森の奥を見てこよう。そう決めて久しぶりに足を運んだ。

立ち枯れのモミは十数年、見続けてきた。葉がこずえから枯れ落ち、やがて樹皮がはがれ落ちた。キツツキが幹をつついて穴をあけた。根元におがくずが散らばっているので、なんだろうと見上げたら、「つつき穴」があった。そんなことがよみがえる。横倒しになっているモミは意外と長かった。

名前知らずの木に穴をあけたのはアカゲラか。大人のこぶしが入るくらいに大きい穴もある。近くの倒木にキノコが生えていた。写真を撮った。それだけで心が晴れやかになる。これが「森歩き」(ただの散歩もそうだが)の効用、と思ったとたん、イノシシのことを思い出した。

無量庵は小集落の一角にある。朝、子ども用の花火の音がした。イノシシが現れたにちがいない。今、この森にいるのはオレとイノシシだけかもしれない、ばったり出合ったらどうしよう。急におじけづいて遊歩道を引き返した。

2013年6月26日水曜日

フサスグリ

夏井川渓谷の埴生の宿(無量庵)にフサスグリがある。日曜日(6月23日)に見たら、実が熟して赤く輝いていた=写真

無量庵は、庭だけは広い。知り合いからもらったり、ホームセンターから買ったりして植えた「実のなる木」が、高田梅2本、カリン1本、プルーン3本。温州ミカンは冬、葉が霜焼けをおこして枯れた。真冬に屋内の水道管が凍結・破損するような場所では、そもそも無理、いや無謀だったか。

フサスグリは鉢物を買ってカリンの根元に移植した。小灌木だ。小さいころ、母親の実家(現田村市都路町)にある「イッサ」の実を、いとこと一緒に食べた。家の近所の宮原商店でも夏、同じものを売っていた。大人になって調べたら、スグリの一種だった。

青い実を食べた。すっぱかった。その思い出が忘れられずに、中年になって鉢植えを買い求めた。記憶にある「イッサ」の実は、庭にあるフサスグリの実よりは大きい。「マルスグリ(オオスグリ)」というやつか。

相馬地方に「リッサ」という方言がある。親が相馬出身の知人から聞いて知っていたが、ユスラウメのことであってスグリではない。「イッサ」の語源調べはストップしたままだ。

今年は特に実のなりがいい。写真も撮ったことだし、あとで「初物」をいただこう――そう決めていたのに、畑でネギ坊主を摘んだり、森を巡ったりしているうちに、摘むのを忘れた。


カリンの実は果実酒に利用できる。高田梅は、梅干しではなく梅漬けにする。プルーンはもちろん生食に――というもくろみは、しかし半分なまけ、半分放射能のせいで実現していない。「梅ジャム」づくりも、3・11後は中断したままだ。食べ忘れたスグリの実が、まぶたの裏で赤く美しくゆれている。

2013年6月24日月曜日

居残りハクチョウ

きのう(6月23日)夕方、街から夏井川堤防を利用して帰宅した。新川との合流点に近づくと、ハクチョウが1羽、目に入った=真。車に置いてある双眼鏡で確かめると、成鳥のコハクチョウで、羽はきれいにたたまれている。けがをしている様子はない。

そこは夏井川第二のハクチョウの越冬地。3月下旬にハクチョウが北へ帰ったあと、南からやって来たハクチョウが何羽か滞留することはあったが、この時期に見られるのは珍しい。

夏井川第二の越冬地は、左の羽をけがして飛べなくなったハクチョウが上流の越冬地から流れ着いたことに始まる。「左助」と名づけられた残留コハクが呼び水になった。その後、同じように羽をけがして残留するコハクが増えた。多いときには4羽が夏井川で夏の酷暑に耐えた。

やがて残留コハクは視界から消えた。そのうちの1羽が昨年8月に現れた。震災を乗り越えて生きていた。と思ったのもつかのま、再び姿を消した。それ以来、1年ぶりの残留コハクである。

堤防でしばらく観察していたら、犬を連れて散歩している人が近づいてきた。4月に知り合ったばかりの地元の区長さんである。「あのハクチョウは?」「居残り」「けがをしてるのかな」「いや、飛べるから体力がないんじゃないの」。ずっと上流へ移動することもある。いつもいるとは限らないのだという。きのうはたまたま姿を見せた、というわけだ。


仲間が北からやって来るまであと4カ月。新しい居残りハクチョウにとっては、この夏が正念場だ。一年中、残留コハクにえさをやっていたMさんにもしばらく会っていない。体調を崩してやめていた堤防の散歩をそろそろ再開するか。

2013年6月22日土曜日

定期演奏会

久しぶりにいわき芸術文化交流館「アリオス」へ足を運んだ。知り合いの若い女性が所属する吹奏楽団「いわきシンフォニックウィンドアンサンブル」の定期演奏会が大ホールで開かれた=写真

彼女は被災者のための交流スペース「ぶらっと」で働いている。私がはるか昔に通った学校の後輩でもある。クラリネットを演奏する。「ぶらっと」のつながりで、初めてチケットを買った。

フルート、トランペット、トロンボーン、クラリネット、サキソフォン……。50人余がそろったステージは、さすがに迫力がある。ただただ音に聴き入った。

村では演奏する人が少ない。東京ではプロにかなわない。その意味では、こうした市民吹奏楽団があるくらいのまちがちょうどいい――演奏の合間にそんなことを思った。

アマの劇団でも、交響楽団でも同じだろう。団体が組織できるくらいの市民俳優、市民音楽家がいる。彼らの演劇や音楽を同じ市民が観賞する。活動資金をどう捻出しているかはわからないが、チケットを買うことで彼らの活動を支えることになるのは間違いない。市民団体を市民が支える、それが可能なところにいわきの魅力があるのではないか。


さて、アンコールで思ったことがある。「じゃんがら念仏踊りの演奏を、ぜひ」。「じゃんがら念仏踊り」は、それこそいわきの魅力の一つだ。いつかは「じゃんがらシンフォニー」を聴きたいものである。

2013年6月19日水曜日

梅雨入り

この時期、阿武隈の山中ではモリアオガエルが樹上に卵塊をつくる=写真(2006年7月9日)。繁殖地として国の天然記念物に指定された川内村の平伏(へぶす)沼にも、水辺の木々の枝に卵塊を産みつけた、という報道が相次いでいる。

でも、この雨不足だ。平伏沼の水が涸れている。卵からかえったオタマジャクシは、卵塊の下端から沼に落下して水の中で育つのだが、肝心の水がないために次々に死んでいるのだという。

もう何年前になるだろう。平伏沼を何度目かに訪れたとき、やはり沼の水が涸れ、水を張った発泡スチロールの箱を卵塊の下に置いているのを見たことがある。お年寄りが“オタマジャクシ番”をしていた。村から委嘱された監視員でもあったか。

平伏沼は落葉広葉樹が覆う山頂にある。雨不足が続けば干上がりやすいのはそのためだろう。

きのう(6月18日)、東北、北陸が梅雨入りしたとみられる、と気象庁が発表した。けさは起きるとやや強い雨。平伏沼のオタマジャクシには恵みの雨となるかどうか。

いや、人間にとっても梅雨は梅雨らしくあってほしい。夏井川渓谷の埴生(はにゅう)の宿(無量庵)の井戸水が細くなってきた。瞬間湯沸かし器が使えない。お湯を出そうにも水量不足でガスがつかないのだ。ガス屋さんが点検してわかった。


きのう、きょうのことではなく、阿武隈の山々に降る雨が少なくなっている、ということだろうか。モリアオガエルには生きにくく、井戸水頼りには暮らしにくい気候が続く。雨乞い祭りをしないと――。

2013年6月16日日曜日

童謡詩人島田忠夫

水戸で生まれ、平で育った童謡詩人島田忠夫(1904~45年)は、昭和初期、しばしば平の地域新聞に作品や文章を寄せている。昭和3年7月27日から8月8日まで10回にわたって「常磐毎日新聞」に掲載された「九州游記」=写真=もその一つ。

「九州へぶらり旅したのは二月末であった」という一行から、紀行文は始まる。初めて足を踏み入れる「九州には、私の作品を読む二三の未見の友人が居る丈け」、その一人「K君」に会い、地元の名士に歓待を受けたことなどが、時系列的につづられる。平凡な紀行文だが、忠夫の軌跡をたどるうえでは貴重な資料になりうる。

この旅の帰り、忠夫は下関に文通相手の金子みすゞを訪ねるが、病臥していて会えなかった。紀行文では、それには触れていない。「K君」とはおそらく天才少女詩人といわれた海達公子(1916~33年)の父親。紀行文からはやはり、それらしいことはうかがえない。

一つ年上のみすゞと忠夫は雑誌「童話」の童謡欄常連だった。選者の西條八十は「島田忠夫君と並んで、彼女はまさしく当時の若い童謡詩人の中の二個の巨星であった」と、のちに振り返っている。みすゞは、忠夫が訪ねて会えなかった2年後に自死する。

いわき総合図書館のHPに<郷土資料のページ>がある。大正~昭和時代の地域新聞が電子化され、いつでも、どこからでも閲覧できるようになった。まずは忠夫の作品や論考、随筆などをじかに吟味できるのが、私にはありがたい。

今やみすゞは輝きをまし、忠夫は忘れられた存在となった。とはいえ、みすゞとの関係からだけでもいい、忠夫にもっと光を当てられないか。みすゞ研究者、広く童謡研究者に、いわき総合図書館の「電子新聞」を閲覧してもらいたい、という思いがつのる。

2013年6月13日木曜日

電気柵

阿武隈高地を行くと、電気柵を張り巡らした水田に出合う=写真(川内村、2008年8月)。イノシシの侵入を防ぐのが目的だ。イノシシが鼻先で電線に触れると、ビビッときて退散する――それを期待した仕掛けであることは、素人にもわかる。

いわき市平の市街地に近い平野部の田んぼにも、最近、電気柵や丸太柵が設けられた。わが家から夏井川溪谷の無量庵へ行き来する山すその農道沿いだ。人間の暮らす領域と動物の暮らす領域の接点だが、これまでイノシシ除けの柵はなかった。

夏井川渓谷の小集落にはトタン柵で囲われた田畑がある。わが無量庵の庭にもときどきイノシシが現れる。住民は昔からイノシシと“共生”してきた。

イノシシの出没する範囲が広がっている。東日本大震災に伴う原発事故の影響でイノシシハンターが減ったのが原因だろう。

先日の新聞記事によれば、阿武隈高地のど真ん中、田村市では農地の獣害対策のために新設する電気柵の総延長が約314キロに達する見込みだという。事故を起こした福島第一原発から「30キロ圏内で利用される農地は、ほぼすべてが柵に囲われる」ようになる。国の補助を受けて、電気柵を設置する農家に助成する。

今度、田村市の実家へ帰るときには、道の両側に延々と電気柵が設けられていることだろう。

2013年6月10日月曜日

一斉清掃

起きると、快晴。日曜日(6月9日)早朝6時半から、わが行政区では一斉清掃が行われた。春のいわきのまちをきれいにする市民総ぐるみ運動最終日である。住民が家の前の歩道や公園などに出て草を引いたり、刈ったりしてごみ袋に詰め、地域の環境美化に努めた=写真

ふだん顔を合わせたことのない隣人とあいさつを交わし、環境美化という目的のために一緒に汗を流す。区内をざっと見て回りながら、ちょっといい光景だな、と思った。

いわき市の総ぐるみ運動は毎年、春と秋の2回行われる。初日(金)は「清潔な環境づくりをする日」、2日目(土)は「自然を美しくする日/みんなの利用する施設をきれいにする日」、そして最終日が「清掃デー」だ。前に少し触れたが、6月1日に神谷公民館の清掃が行われたのはこの一環だった。

以前は側溝の泥も片づけていたが、3・11後は受け入れ先がないため、市は、側溝の清掃については原則実施しないよう呼びかけている。市の回覧のほかに、区としても回覧で土砂の片づけと側溝の泥あげはしないよう、念を押した。

事前に市から「清掃デー」のためのごみ袋をもらい、回覧網を通じて1戸に1枚を配布した。この日のためのごみ集積所もあらかじめ市に届けた。場所は例年と変わらない。

側溝の泥あげがない分、清掃作業は小一時間で終わる。それを見計らってごみ袋がどこにどのくらい出たか、チェックした。例年、ごみ袋の利用実績は6~7割というところだろうか。今年も燃えるごみがおよそ180袋出た。燃えないごみは3袋だった。


昼前にはごみ袋が回収された。が、たまたま夕方通った道の一角にごみ袋が残っていた。こうなると心穏やかではない。きょうの午後も残っていたら、市に連絡してワケを聞くことにしよう。

2013年6月8日土曜日

ごみカレンダー

わが行政区はざっと340世帯、30余の隣組からなる。4月に「行政嘱託員兼区長」(人がいないので、そのまま保健委員も)を引き受けてから、多くの情報(主に要望)が入るようになった。

平市街のベッドタウンとして開発が進められた地域だけに、年度替わりの春には人の出入りが少なからずある。新しく隣組に入った人のために「ごみ収集カレンダー」=写真=を、と区の役員さんが言ってきた。ごみ関係は保健委員の担当になる。手元にないので、市役所へ車を走らせ、少し多めにごみカレンダーをもらってきた。

別の日には「ごみ集積所のカラスよけネットが古くなったので、取り替えてほしい」という電話が入った。すぐホームセンターへ出かけてごみネットを買い、要望のあった隣組の班長さんの家に届けた。

また別の日には――。やはり、ごみカレンダーがほしいと、近所の人がやってきた。間もなく貸家に入る人がいる。隣組にも入るという。双葉町の仮庁舎がいわき市の南部にできた。6月17日に業務を開始する。それに伴って避難先の埼玉県加須市から移ってくるらしい。


ルール通りにごみを出すことがコミュニテイの平穏を守る第一歩。そのためのごみカレンダーであり、ごみネットだ――ときどき家の前のごみ集積所でカラスと知恵比べをしないといけない保健委員の目には、そう映る。双葉町民であっても、コミュニテイの一員として隣組に入る、郷に従う、という姿勢がうれしい。

2013年6月6日木曜日

災害復旧工事

わが生活圏の風景が少しずつ変化している。通りにある家の周りにパイプで足場が組まれ、防塵シートが張られた=写真=と思ったら、たちまち解体されて更地になった。何軒か先の家も、日をおかずに解体された。

いわき市はあの日、沿岸部で多くの人命が失われた。内陸部でもかなりの建物が被災した。最新の統計によると、市内の死者は441人、建物被害は全壊7917棟、大規模半壊7277棟、半壊2万5255棟、一部損壊5万80棟に及ぶ。

被災者の生活再建を支援する制度の一つに「損壊家屋等解体撤去事業」がある。「半壊」以上の判定を受けた家屋などについて、いわき市が所有者の申請に基づき解体・撤去を行う。近所の家もその制度を利用したのだろう。「災害復旧工事 基礎解体撤去工事中」の看板が立った

いつも行き来する通りだからこそ、新しくできた更地にはまだそこにあった家の記憶を重ねられる。が、それもやがて更地になじみ、新しい家が立てば前の家の記憶は失われる。

わが家の庭の離れがそうだ。母屋と、離れの物置が「半壊」の判定を受けたので、被災した年の暮れに物置の解体撤去を申請し、8カ月後に業者が来て解体した。今では前からそこに空き地があったような感覚になっている。

母屋は1年以上前に応急修理の手続きを取った。旧知の大工氏が忙しいのでそのままにしておいたら、先日、「災害救助法に基づく住宅の応急修理制度の手続きについて(お知らせ)」というハガキが届いた。修理見積書の提出期限は6月28日、工事完了報告書は9月30日だという。災害救助にも締め切りがある。更地の感慨にふけっているヒマはない。

2013年6月3日月曜日

球技大会

40回目の神谷地区対抗球技大会がきのう(6月2日)、地区内の昌平中・高校で開かれた=写真。わが行政区はバレーボール(女性)で準優勝、ソフトボール(男性)で3位に入った。反省会では笑顔が絶えなかった。

朝起きると、曇り空。空気が冷たい。6時半、地区体協や8行政区の役員などが神谷公民館に集合し、机、いす、テントなどを軽トラに積んで会場へ。設営、開会式のあとソフトの応援に回ったが、ジャンパーなしではいられなかった。以下、裏方として見聞きし、体験し、感じたことを三つほど――。

開会式では、選手たちと一緒にラジオ体操をして体をほぐした。これがうまくいかない。小学生のときからなじんでいる体操だけに、関節の動きの悪さがよくわかる。せめてラジオ体操をこなせるようにしないと――そう思う一方で、息が切れてしかたがなかった。

試合では、若い選手の打ったボールが飛んで、体育館前の駐車場に止めてあった車のフロントガラスを直撃した。「ゴン」。大きな音が響き渡り、フロントガラスに月桂冠のようなひびが入った。もう少し右に入っていたら、場外ホームラン(私の車に月桂冠ができていたかも)だ。初めて見る大ファールだった。


ある行政区では、男性陣が集まらないためにソフトの試合を棄権した。少子高齢化の影響だとしたら、人ごとではない。秋には市民体育祭が開かれる。競技種目もこれまで通りでいいのかどうか、再検討すべき時期にきているようだ。

2013年6月1日土曜日

蚊に刺される

植物の開花日や鳥・虫の初鳴日、初見日を記録している。私的な生物季節観測だ。春は梅の開花に始まり、桜の開花、ウグイスの初鳴、ツバメの初見ときて、5月にはオオヨシキリの初鳴、ホトトギスの初鳴と続く。

すっかり緑に覆われた夏井川渓谷=写真=では、5月24日、ホトトギスの仲間のジュウイチの鳴き声を聞いた。「ジュイチ―、ジュイチ―」。今年も来てくれたか――雑事でいっぱいになっている頭が、一瞬、季節の巡りを実感してほぐれる。

ホトトギスはそれより5日前の19日早朝、わが家のトイレで、鳴きながら飛んでいくのを聞いた。

チクリとやる蚊も、すきまだらけのわが家では季節のバロメーターになる。5月下旬には現れる。今年は日曜日の5月26日にチクリとやられた。これまでの記録でいえば、「初刺され日」は5月20日前後だから、平年より6日ほど遅い。5月にしては寒い日が続いたのが原因だろう。

蚊に刺された日の夜、「いしやきいも~」が通りから聞こえてきた。夫婦で聞いたから、空耳ではない。こちらは季節がとろけてしまったようだ。


きょうから6月。「衣替え」の日だが、今朝はこのあと、神谷公民館の草刈りに行く。あすは旧神谷村8行政区が競う球技大会がある。雨が降らないことだけを念じている。