2013年6月16日日曜日

童謡詩人島田忠夫

水戸で生まれ、平で育った童謡詩人島田忠夫(1904~45年)は、昭和初期、しばしば平の地域新聞に作品や文章を寄せている。昭和3年7月27日から8月8日まで10回にわたって「常磐毎日新聞」に掲載された「九州游記」=写真=もその一つ。

「九州へぶらり旅したのは二月末であった」という一行から、紀行文は始まる。初めて足を踏み入れる「九州には、私の作品を読む二三の未見の友人が居る丈け」、その一人「K君」に会い、地元の名士に歓待を受けたことなどが、時系列的につづられる。平凡な紀行文だが、忠夫の軌跡をたどるうえでは貴重な資料になりうる。

この旅の帰り、忠夫は下関に文通相手の金子みすゞを訪ねるが、病臥していて会えなかった。紀行文では、それには触れていない。「K君」とはおそらく天才少女詩人といわれた海達公子(1916~33年)の父親。紀行文からはやはり、それらしいことはうかがえない。

一つ年上のみすゞと忠夫は雑誌「童話」の童謡欄常連だった。選者の西條八十は「島田忠夫君と並んで、彼女はまさしく当時の若い童謡詩人の中の二個の巨星であった」と、のちに振り返っている。みすゞは、忠夫が訪ねて会えなかった2年後に自死する。

いわき総合図書館のHPに<郷土資料のページ>がある。大正~昭和時代の地域新聞が電子化され、いつでも、どこからでも閲覧できるようになった。まずは忠夫の作品や論考、随筆などをじかに吟味できるのが、私にはありがたい。

今やみすゞは輝きをまし、忠夫は忘れられた存在となった。とはいえ、みすゞとの関係からだけでもいい、忠夫にもっと光を当てられないか。みすゞ研究者、広く童謡研究者に、いわき総合図書館の「電子新聞」を閲覧してもらいたい、という思いがつのる。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

埋もれた文学史があったこと、驚きです。
もっと後世に知ってほしい話です。

どこかで繋がっている狭いネットワークが垣間見られるようです。