2013年8月2日金曜日

風立ちぬ

梅雨の晴れ間の日曜日(7月28日)早朝、閼伽井嶽と水石山の手前に綿菓子でできた犬のマルチーズのような雲が浮かんでいた=写真。どちらが頭でも、しっぽでもかまわない。短い脚で駆けているようなイメージだ。

この日は朝一番で小川の夏井川渓谷(無量庵)へ出かけ、草野心平記念文学館をのぞき、いわき駅前のポレポレいわきでアニメ映画「風立ちぬ」を見る、と決めて早起きをした。今は休んでいるが、早朝散歩の途中でよく雲の写真を撮った。マルチーズの雲は久しぶりの「三文の徳」だ。

無量庵では「朝めし前」に三春ネギに追肥をし、草むしりをした。文学館は内も外もにぎわっていた。「やなせたかしの世界展」、つまりはアンパンマン効果だろう。このあと山を下りて、ポレポレいわきに足を運んだ。午後1時過ぎの上映時間に合わせたのだが、すでに満席だった。観賞をあきらめ、帰宅して昼寝をした。

それからが大変だった。カミサンが「きょう行こう、あした行こう」と催促してうるさい。毎月1日は1000円で見られる「映画の日」。きのう(8月1日)夕方、「晩酌の時間なんだけど」と思いながら出かけた。

ゼロ戦を設計した堀越二郎と作家の堀辰雄に敬愛を込めてつくられた宮崎駿監督作品だ。実在の人間をモデルにした物語だけに、最初から既視感がある。

肺結核で亡くなる主人公の妻・菜穂子の名前は堀辰雄の小説「菜穂子」から。タイトルの「風立ちぬ」そのものが小説『風立ちぬ』からきている。そのなかの有名な一節、<風立ちぬ、いざ生きめやも>(ポール・ヴァレリーの詩を堀辰雄が訳した)も。

「誰が風を見たでしょう?/ぼくもあなたも見やしない、/けれど木の葉をふるわせて/風は通りぬけてゆく。」。クリスティーナ・ロセッティの「風」(西條八十訳)が朗読される。西條八十の「ぼくの帽子」を連想させるシーンもある。風の映画だ、これは。

菜穂子が入院する「富士見高原療養所」は、正木不如丘が初代院長。正木は一時、福島市の病院に勤めていた。そのとき、竹久夢二と知りあう。晩年、胸を病んだ夢二は正木の誘いで療養所に入院し、そこで亡くなっている。

高原のホテルのレストランでドイツ人が大盛りの葉をむしゃむしゃ食べるシーンでは、それが何なのか、ピンときた。クレソン。日本では、軽井沢などで在留外国人のために栽培されたのが野生化したといわれる。四角く囲われた泉へ行く林の道沿いに咲いていたのはユキノシタ――。好間川のクレソンが、わが家の庭のユキノシタが思い浮かぶ。

次から次によけいなことを連想して、肝心の物語に没頭できなかった。ラストシーンがきて「えっ、もう終わり?」と感じたのはそのせいだろう。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

水石山はいわきのランドマークですね!

朝な夕なに山を見て暮らす近くに住む知人に聞けば、日が沈む夕焼けは特別「美しい」と表現した。

その日の仕事が終わり、美しい光景を見てしめる1日、心も洗われるだろう。救われる思いがした。

また、30年以上前だろうか? あるおばあさんは平の方向に浮かぶUFOを見た、その談話は地元の夕刊紙に掲載されたと話してくれた。

美しいものに不思議な話、ランドマークにありそうな話と聞きました。