2013年8月27日火曜日

夢は夜ひらく

コガネグモ=写真=は張った網の真ん中で、体を下向きにして、じっと獲物の昆虫が網にかかるのを待つ。獲物がかかるとすぐ走りより、かみつき、糸でぐるぐる巻きにして動けなくする。それを網の真ん中まで運んでから食べる。腹部の黒と黄の横縞が、毒々しいほどに美しい。

歌手の藤圭子さんの訃報に接して、ざっと40年前の彼女の姿が記憶の井戸から浮かび上がってきた。何の脈絡もないのに、コガネグモも脳裏に網を張った。

昔の呼び方にならえば、たしか「藤圭子ショー」が平市民会館(今は芸術文化交流館「アリオス」が立つ)で開かれたのだった。それを取材した。演劇、音楽、講演会、その他。平市民会館は催し物の主要な取材先だった。

市民会館は市の施設だから、照明・音響などは技術職員が担当していた。取材を通じてスタッフとは顔見知りになっていたので、舞台のそでなどにももぐり込むことができた。そこへステージに立つために藤さんが現れた。

短い黒髪、黒い衣装、端正な顔立ちはそのまま。でも、テレビで見るのと違って、きゃしゃで小さい。20歳前後なのに、第一印象は「針金のような少女……」だった。テレビを介してできあがったイメージと実像との落差に衝撃を受けた。

♪十五、十六、十七と私の人生暗かった……。「圭子の夢は夜ひらく」が大ヒットしたあとだ。こけしのような美しい顔で、すごみのある声で、暗い歌をうたう。作家の五木寛之さんがいみじくも名づけた「怨歌」が胸にしみた。

「ぼくは二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせまい。一歩足を踏みはずせば、いっさいが若者をだめにしてしまうのだ」。ポール・ニザンの『アデン・アラビア』(篠田浩一郎訳)の冒頭の文章に、「圭子の夢は夜ひらく」が重なる。そんな時代を生きた、いわば同時代の人間の一人だ。

娘の宇多田ヒカルさんのコメントには言葉もない。藤さんは長い間、心の病と闘い続けてきた。瞑目して祈ることにしよう。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

芸能人は自らの命をたってはいけない。

年間3万人もの人が自死で亡くなっている。

でも、死なないで生きなければ生きて全うしてほしい。

芸能人はその与える影響が大きいだろう。

生きたくても生きたくても病気で寿命の人もいる。

往生際はとことん踏ん張って生き抜いてほしい。