2013年8月30日金曜日

後輩の死

街からの帰りに夏井川の堤防を利用した。久しぶりに残留コハクチョウの姿を見た。ダイサギたちも川の中で羽を休めていた=写真。こんなときにはいったん心のモヤモヤが晴れるものだが、そうはならなかった。

前夜、夕刊(いわき民報)のおくやみ情報欄で建築設計業を営む後輩の死を知った。60歳。病気とは聞いていない。突然の死? 一夜明けて、同じ業界にいる別の後輩に連絡した。細かい葬儀のスケジュールがわかった。納棺の時間が迫っていたので、自宅に駆けつけるのは控えた。狐につままれたような状態が通夜まで続いた。

きのう(8月29日)の通夜の席で、奥さんと長男の嫁さんが詳しく話してくれた。棺の顔も見た。心筋こうそくだった。日曜日の夜、肩がこる話をしていた。そのまま寝たところ、変ないびきになった。未明、家族が心臓マッサージをしたが、救急車の中で心肺が停止した。まったく予期しない死だった。

彼は学校の、そして会社の後輩だった。昭和40年代後半、いわき市平に若い絵描きたちが集まる「草野美術ホール」があった。そこへ出入りする学生の一人だった。駆け出し記者もしょっちゅう取材に訪れた。そこで知り合った。学校をやめて、一時、いわき民報の記者をした。私が誘った。日曜日になると、よく洗濯物を持ってわが家へ遊びに来た。

数学嫌いが理系の学校を飛びだす。そう思っていたが、彼は違っていた。数学が得意だった。手先も器用、口も達者だった。学生時代、前輪と後輪が極端に違う自転車をつくって発表したことがある。奥さんの実家の仕事(建築設計)に就き、独立してからはカブトムシ養殖の“副業”を手がけることもあった。絶えず意表をつく、才能豊かな表現者だった。

震災後は超多忙だったのか、まったく顔を見せなかった。今年の春、「近くまで来たから」と言ってわが家へ寄ったのが最後になった。相変わらずひげをたくわえ、タレントみたいに変な眼鏡をかけていた。酒を飲めない分、そんなところでストレスを発散させていたのだろう。

こちらは5歳年上。朝起きると、まずカミサンが呼吸をしていることを確かめる。カミサンも私の不整脈を気遣ってそうしているらしい。そんなやりとりのなかで知った、後輩の突然の死。さびしいからと言ってオレを道連れにするなよな――胸のなかでつぶやきながら、通夜の会場をあとにした。

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