2013年8月8日木曜日

いわきおどり

7月中旬に同級生8人で2泊3日の京の旅を楽しんだ。主な目的は芸妓・舞妓さんと言葉を交わし、踊り=写真=を見ること。芸妓・舞妓さんはテレビで見るだけの遠い存在だった。たまたま同級生の一人が大手企業の系列会社の社長をしていたので、お茶屋さんにコネがあった。一生縁がないと思っていた世界を垣間見た。「冥途のみやげ」ができた。

「冥途のみやげ」は、若いときには当然、考えたこともなかった。が、人生の日暮れにさしかかった今は、一生に一度あるかないかという体験はあの世にいる人たちへの「みやげ話」になる、と思えるようになった。親が逝き、知人が逝き、小・中学校の同級生が逝きはじめたために死が親しくなった、ということもあろう。

ヤマカガシに飲みこまれたゲリゲ、つまり草野心平のカエルの詩にあるように、「死んだら死んだで生きてゆくのだ」という思いも、生に傾いていたはかりのなかで重くなっている。

きょう(8月8日)は夕方から、平七夕祭りの会場で「いわきおどり」が行われる。地震や津波の被災者、原発避難者のための交流スペース「ぶらっと」も、利用者やボランティア、東京からのツアー参加者らでチームを組み、初めて踊りの列に加わる。

「いわきおどり」は昭和56(1981)年、いわき市制施行15周年を記念してつくられた。記者としてその過程を取材した。だれでも参加できる踊りを、いわきを一つに――が狙いだったと記憶する。以来30年余。「いわきおどり」は、見るものではあっても踊るものではなかった。踊り参加は、その意味では「冥途のみやげ」になるほどの大事件だ。

河原から川を見るのと、川から河原を見るのとでは、印象がまるで違うだろう。持病があるので踊りは無理だが、「ぶらっと」のカメラマンとして踊りの流れに身をまかせよう、初体験を楽しもう、と思う。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

「芸者、冨士山、寿司」は、日本人ならぜひとも試したい日本の文化ともいえるアイテムだ。

富士山は世界遺産に登録された北斎の富士だし。芸者は歌麿の江戸美人。どちらも経験なしだ。

せめてグーグルビューで登山したつもりになって、時代劇で女優を見てるのが関の山だ。

いわき踊り、無になってはじけていい汗いっぱいかいてください。

これが終わると「じゃんがら」の太鼓や鉦の音が鳴り響き夏も足早に過ぎていきますね!

匿名 さんのコメント...

地元の人も、県外の人も、避難している人も、大人も子供もみんな1つになって踊っていました。

いわき市が1つになってこの踊りができたこと。半世紀近くたっても音頭になじまない人がいる一方、まっさらな若者は自然と体にしみ込んでいる気がした。

避難している人たちは、踊らにゃそんそんとばかりに元気に混ざっていたように見えた。そこには自分の故郷、よその地域など関係ない新しい感覚なのかと考えさせられた。