2013年9月10日火曜日

言葉は人なり

庭のフヨウの花=写真=が日ごとに数を増している。フヨウは朝咲いて夕方にはしぼむ一日花。アサガオも未明に咲いて昼前にはしぼむ。けさ(9月10日)、起きぬけに庭のアサガオの花を見た。雑用に追われて花を見るゆとりを失っている、だけではない。花でも見て頭を切り替えないことにはやりきれない、という思いも少しはあった。

福島の新聞は毎日、放射線量のモニタリング測定結果を載せる。「株式欄みたいだ」とも評される。

きのうのいわき民報は、県が8月28~30日にいわき沖で採取した魚介類32種65品目の「緊急時モニタリング検査結果」を載せた。こちらはそのつどの掲載だ。今回はさいわい、食品衛生法の規制値1キロ当たり100ベクレルを超える放射性セシウムは検出されなかった。大多数が「検出せず」で、ひとまず安心した。

とはいえ、セシウム134、同137の合算値で四倉沖のムシガレイ:93、豊間沖のアイナメ:69、四倉沖のアイナメ:59――といったところには、やはり目が留まる。

これが現実で、「汚染水の影響は原発の港湾内の0.3平方キロメートルの範囲内で完全にブロックされている」という安倍首相の言葉(朝日新聞)は、浜通りの人間には受け入れがたい。2020年東京五輪決定を素直に喜べない理由がこのへんにある。

詩人で作家の三木卓さんが、先の東京五輪から2年後の1966(昭和41)年に詩集『東京午前三時』を出した。そのなかの1行「現実に堪えられない思想はだめである」を、20歳のころに胸に刻んだ。行動の指針にしている。その延長でいえば、「現実に堪えられない言葉はだめである」。良くも悪くも、言葉は人なり、だ。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

海が安全なら漁業を再開して獲れた魚は国か買えばよい。

決して棄てるな!

安全なら安く販売して食べればよいではないか?

大人も子供も男も女も妊産婦も。

少しでも疑念があるなら獲るな食べるな近ずくな!臆病者と言われようが。
それが自己責任で自分を守るということではないのか?