2013年10月10日木曜日

古書は巡る

大正末期の、磐城平の同人詩誌「みみづく」の現物を初めて手にした=写真。通巻第3輯、第2年第1号、大正13年1月15日発行、発行兼編集印刷人馬場京助、などとある。馬場は「いはらき新聞」記者で、山村暮鳥の取り巻きの一人。暮鳥が巻頭に詩4篇を寄せている。

そのなかの1篇。<おうい、雲よ/ゆうゆうと/馬鹿にのんきさうぢやないか/どこまでゆくんだ/ずつと磐城平の方までゆくんか>のタイトルが「友らをおもふ」だ。研究者は、この詩が相聞歌ではない証拠として、「友ら」と複数になっているタイトルを挙げる。暮鳥を研究する上では重要な文献の一つではある。

四半世紀も前になるが、いわき地域学會初代代表幹事の故里見庫男さんから、この「みみづく」第3輯のコピーが届いた。いわきの近代文学を調べるように、という暗黙の指示でもあった。里見さんの思いに反して、「みみづく」はずいぶん長い間ほこりをかぶったままだった。

平成20年正月、里見さんが中心になって運動を進めてきた「野口雨情記念湯本温泉童謡館」がオープンした。毎月1回、童謡詩人について話すようにいわれて、尻に火がついた。いわき総合図書館に通い続け、素人が知り得る範囲で金子みすゞやサトウハチロウ、野口雨情について、童謡ファンのおばさんたちに“報告”した。

それをきっかけに、今も「いわきの大正ロマン・昭和モダン」を調べている。「みみづく」第3輯をきちんと読みこんだのは、その意味では近年のことだ。ただし、コピーには限界がある。紙の質、表紙絵の色、活字の凹凸感、重さ……。これらは、本物でないとつかめない。

表紙絵は版画家・詩人・装幀家として知られた恩地孝四郎。詩も1篇寄せている。当時、上り調子の33歳だった。2012年、池内紀『恩地孝四郎 一つの伝記』(幻戯書房)が出版された。図書館の新着図書コーナーに飾られてあったので、借りて読んだ。初めて恩地の世界に触れた。

実は、本物の「みみづく」第3輯は、古本屋を営む若い仲間が持ってきた。3・11後のダンシャリで某家から出てきたという。わが家ばかりではない。あちこちでダンシャリが行われている。が、救済される本はほんの一部でしかない。こちらへ巡ってくるものとなると、その一部の一部でしかない。

これまでに、コピーの「みみづく」を材料にして、何回か小文を書いた。「みみづく」第3輯は関東大震災からわずか4カ月ちょっとあとに発行された。なかに大震災を詠んだ短歌がある。いずれその作品を紹介したい。

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