2013年10月14日月曜日

里の秋祭り

神谷(かべや)の里――。私の住む地域は、隣接する行政区を含めてそう呼ばれる。旧神谷村の中枢をなす。大きな神社が二つある。立鉾鹿島神社と出羽神社だ。祭りは、立鉾が5月、出羽が10月。初夏は神谷の里の五穀豊穣を神に祈り、秋はそれを神に感謝する。きのう(10月13日)、出羽神社の例大祭が行われた=写真

祭礼には神谷の行政区長が招待される。どちらの氏子でもない「新住民」なので、これまでは神輿が家の前に来てハレの日だと気づく程度の知識しかなかった。招待状が届き、式典に出席して初めて、おぼろげながら祭りの流れがわかった。朝6時の打ち上げ花火も、今年は祭りの実施を告げるものだと認識できた。

式典は拝殿で行われた。氏子、神社崇敬者、議員その他の招待者が列席した。終わって社務所で直会(なおらい)が行われた。

宮司が、式典を締めくくるあいさつのなかで、9月20日の震度5強の余震について触れた。大谷石でできた宝蔵が被害を受けたという。あとで確かめたら、継ぎ目にすき間ができていた。ここでも、あそこでも――。9・20の被害集中地区の一つが神谷の里ではなかっただろうか。

直会が続くなか、若者のかつぐ神輿が何段もある急な石段を下り、刈り入れのすんだ神谷の里へと繰り出した。用事があって早く辞したので、神輿渡御の出発を田んぼから見ることができた。青空の下、いかにも実りの秋にふさわしい光景だった。

出羽神社の神輿で特に興味深いのは、堤防安全を願って夏井川にも渡御することだ(志賀伝吉著『夏井川』昭和59=1984年刊)。

ある年の例大祭で、神輿をかついでいた若者たちが夏井川に入り、みそぎをするのを見たことがある。午後遅く、たまたま堤防の上を車で通りかかったら、集落から神輿が現れ、河川敷へと下りて行ったのだった。川と人間の、カミを介した原初的なふれあいが、今も強い印象となって残っている。

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