2013年10月15日火曜日

戸建て住宅

知人たちといわきニュータウンにある応急仮設住宅を訪ね、管理スタッフから話を聴いた。外に出ると、スタッフが道路向かいの戸建て住宅群=写真=を指さして言った。「仮設ができたころは空き地だったんです」

窪地を走る環状道路をはさんで、3・11後に広野町と楢葉町の仮設住宅ができた。楢葉側は、仮設住宅しかなかった。空き地が広がっていた。そのことを、管理スタッフに言われて思い出した。

真新しい2階建ての住宅がすき間なく並んでいる。洗濯物を干している家がある。建て主への引き渡しを待つばかりの家がある(窓ガラスに張り紙がしてあるので、それとわかる)。

東日本大震災から2年半余、いわき市内では家の建築ラッシュが続く。「不動産バブル」などともいわれている。

身近な暮らしの場では震災家屋の建て替えが進む。津波で家を失った人、双葉郡から避難してきた人たちが市内に土地を求め、家を建てるケースも出ている。それやこれやで、空き地になっていたニュータウンの宅地も家で埋まった。

かたや、仮設住宅のすぐわき――。セイタカアワダチソウの黄色い花が覆う法面(のりめん)の肩に、大根その他の野菜が葉を広げていた。1列4メートルほどの、猫の額ならぬ猫の鼻くらいのスペースでしかない。

避難する前は畑をやっていたというおばさんたちにとっては、ままごとのようなものだ。代用にもならない。が、なにもしないでいるよりはまし――土と向き合ってきた人生がそうさせるのだろう。<わが家に帰って思いきり畑を耕したい、野菜をつくりたい>。おばさんたちの「叫び」が、大根の葉を通して聞こえてくるようだった。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

帰還するとはどういう意味か?思いを巡らす

そこで生活再建するには近所に生活雑貨の商店街が必要だろう、病院、介護施設、役所、子供の学校、近所のコミュニティ・・・

それらが確保できないと、帰りたい人は帰れますと言われても生活できないのではないか

どっちが先とは言わないが、集落ができる過程は人が集まって必要なものが少しづつでき上がって作り上げていく いっぺんには無理だろう

インフラが先とも言わないが文明ができ上がっていくような時代ではないがなければ生活は無理な気がする 山の中で自給自足を求められてもどうか? それに周りに黒い除染をした廃棄物が迫ってきたらそのストレスは計り知れないだろう 子供はどんな故郷の思い出を目に焼き付けるのか? 空恐ろしい気持ちです