2013年10月18日金曜日

災害公営住宅

夏井川の下流域にあるわが家から小名浜へ行く最短ルートは二つ。沿岸部の県道小名浜四倉線に出るか、内陸部の国道6号バイパスにのる。同じ道の往復ではつまらないので、たいがい違った道を行って戻る。沿岸部には津波被害に遭った沼ノ内、豊間、薄磯、永崎などがある。

県道沿いで沼ノ内、豊間の災害公営住宅の建設工事が進められている。薄磯は県道から海岸に向かう道路の中間、細長い田んぼで敷地づくりが行われている=写真。沼ノ内は畑で埋め立てが不要だったため、早くも集合住宅の骨格が見えてきた。

いわき市復興交付金事業計画によると、沼ノ内は集合40戸、薄磯は集合170戸・戸建て10戸、豊間は集合・戸建て190戸ほどができる。この3地区で津波被害に遭い、借り上げ・応急仮設住宅など一時提供住宅に入居しているのは約640世帯に及ぶ。

県道沿線の風景がこの2年半で少しずつ変わってきたのを実感する。発災直後はガレキの山の中を行き来した。道路だけ、利用できるようにガレキが取り除かれていた。

その後――。ガレキは片づけられた。見晴らしがよくなったために、海が荒れているときには波が見える。

道路沿いに双葉郡富岡町の応急仮設住宅が建った。被災者支援のためのオーガニックコットン畑ができた。「ハーブの里」の跡地で災害公営住宅の工事が始まった。豊間のトンネルを抜けた坂道のわき、田んぼでは敷地造成工事が始まった。

こうして、県道を行き来していると、高久~豊間の間だけでも変化がわかる。そのたびに、定点観測ならぬ定線観測をするのが内陸部の人間の務めではないか、という思いを強くする。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

私たちは毎日、毎日きょうの「原発」はどうなっているか考えている。考えざるを得ない。この3年近く習慣になっている。

風評もずっと心配で県産物を気にしている。それが福島県民の覚悟かもしれない。

区域再編で戻れるように国が決めると、まだ帰らないと反論が出る。それぞれの事情なのだろう。新しい地域で再出発も戻って出直しも、どちらにしても覚悟がいる。もういい加減疲れたとお年寄りの本音は地下に潜ってしまったかもしれない。

自分で決められない前に国も決められない。誰が方向を示すのだろう?他力か自力か?

福島県はわかりづらい地域になりつつある。