2013年10月22日火曜日

同級生たちの3・11

昭和39(1964)年3月に現田村市常葉町の中学校を卒業した。20歳のときから5年ごとに同級会を開いている。10回目、65歳の今年は20~21日、いわき市常磐のスパリゾートハワイアンズで開かれた。ハワイアンズに一泊し、翌日、小名浜のアクアマリンふくしま=写真=を見学した。全体の5分の1にあたる40人余が参加した。

5年前の同級会で、「次はいわき開催」が決まっていた。いわきに住む人間が事務局を引き受けるべきなのだが、東日本大震災が発生した。結局、いつものように常葉町の同級生が準備を進めた。結果的にいわき支援の同級会になった。

3・11には首都圏も“帰宅難民”が出るほどの揺れに見舞われた。と同時に、ふるさとを遠く離れている同級生は、実家や親類、同級生の安否が気になったことだろう。そのときどうだったのか、が話題になった。

いわき勢の3・11は――。四倉町内で店を開いているA子さん「駐車場まで津波が押し寄せてきた」。滑津川河口近くに家があるB子さん「川の堤防から逆流してきた水があふれだしたので、怖くなって逃げた」。双葉郡からふるさとの近くに原発避難をした人間もいるという。幸い、同級生のなかに犠牲者はいなかった。

いわき民報社発行の『東日本大震災特別報道写真集/保存版 3・11あの日を忘れない いわきの記憶』を持参し、アクアマリンへのバスの中で見てもらった。ハワイアンズ、小名浜港、アクアマリン、街並み……。見た目はきれいになったが、あのときは甚大な被害に遭ったのだ。

昭和31(1956)年4月17日夜の強風下、「常葉大火」で焼けだされた同級生が私を含め十数人いる。小学2年に進級したばかりで町の中心部が焼け野原になった。ずっと向こうまで何もない“異空間”と化した。ガレキが撤去された津波被災地について、「常葉の大火と同じだと思えばいい」という私の言葉にうなずく同級生がいた。

その同級生は、妻が伊豆大島の元町出身だ。今度の土石流で知人が亡くなったという。私たちは“災害列島”で暮らしていることを実感しないではいられなかった。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

来年の3.11、3年目の関心はもう南海トラフにシフトさせると聞きました

東日本はこれで忘れ去られると背筋がゾッとしました
県外の人にはよそごとなのでしょう

問題山積がこんなのでクリアされては、たまりません!ぷつぷつ沸き起こる憤りに小さな怒りをぶつけなければ亡くなった方に申し開きが立たない気持ちです

ゴルフにたとえて国会論戦やっている気楽さにのたうちまわっている民の声など聞こえないのでしょう

それにして原発のニュースから始まる毎日、福島はどうかしてしまった