2013年10月25日金曜日

台北故宮展

1週間前の、いわき民報の「くらし随筆」には笑い、同情した。冒頭にこんなことが書いてあった。金曜担当の筆者が台湾の観光名所・九份=写真=を視察研修中、いわき民報の担当者から連絡が入った。「昨日頂いた随筆の原稿は最終回用のようですが、一週まだ残っているんですが……」。じぇじぇじぇ!となって、旅行気分も吹き飛んだ。

「くらし随筆」は市民が3カ月間、月曜から土曜日まで日替わりで健筆をふるう。現在の筆者は8~10月が担当で、きょう(10月25日)から順に筆を擱(お)く。その金曜日の筆者が1週間早く、自分を「締め切り」から解放してしまった。その結果、「早めに書いた原稿が空を切り、またまたギリギリに書いております」という事態になった。

2010年9月下旬に高専の仲間と台湾を旅行した。台風の直撃を受けたため、新幹線を利用しての高雄行は中止となったが、台北を中心に北部の烏来・野柳・九份と観光名所を巡った。

野柳の海岸ではアミガサタケの形状とそっくりのキノコ岩をながめ、九份では映画「非情城市」の舞台となった、マッチ箱を並べたような家並みの続く石段を昇って降りた。九份のレストランには、経営者の父か祖父かはわからないが、日本語を話すじいさんがいた。しばらく歓談した。子どものころに習ったという日本の歌まで披露してくれた。

そして、台北。国立故宮博物院の文物を、時間をかけて見た。北宋・汝窯青磁の最高峰といわれる「青磁無紋水仙盆」の青には引かれた。青磁は「雨過天晴雲破処(うかてんせいくもやぶれるところ)」から生まれた。同博物院のHPによると、この名品は「雨上がりの空の青の如く明るく静けさに満ちた美しさ」をたたえている。

10月17日の全国紙が、2014年6月から11月いっぱい、日本で「台北故宮展」が開催されることを報じた。翌18日にはいわき民報に九份発の随筆が載った。至宝に出合える喜びと、台湾で「締め切り」に追われる随筆筆者の苦しみとで、ヒトゴトながらいい読後感を味わった。

かつて日本が統治した是非はともかく、台湾を懐かしく思うと同時に、東日本大震災ではどの国よりも多い200億円超の義援金を寄せてくれたことを、ありがたく思い出したのだった。

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