2013年11月13日水曜日

縦型信号機

会津へ行って最初に気づくのが、交通信号機が縦長になっていることではないだろうか=写真。信号機は横長だけではないのだ、と教えられる。

2年前、東山温泉でのミニ同級会へ出かけたときが、そうだった。土曜日(11月9日)、同じように仲間の運転する車で磐越道から会津若松市内の一般道へ下りて、そのことを思いだした。

5年前の春には鶴ヶ城の隣にある県立博物館へ出かけている。そのときにも縦型の信号機を見たはずだが、記憶はあいまいだ。高速バスで行ったからかもしれない。いや、単に記憶が溶けただけか。

雪国仕様なのだろう。横長だと、雪が積もって信号が見えにくい。折れやすい。それで、着雪量が少なくなるよう縦型にしている、とネットにあった。

会津、雪――とくれば、浜通りからの原発避難者を思い出す。2年前、双葉郡の老夫婦が会津から近所の戸建て住宅に引っ越してきた。会津では借り上げ住宅(アパート)に住んでいた。うるさかった。ひと夏過ごしたが、背中が焼けるように暑かった。冬は1メートルも雪が積もる、と聞いて、秋のうちにいわきへ移り住んだ。今は地域に溶け込んで暮らしている。

きのう(11月12日)は冬型の気圧配置になった。いわきでも気温が上がらなかった。鼻水がこぼれた。きょう未明の空には星が輝いていた。オリオンが頭上にあった。風も少し吹いていた。

会津に住む避難者は、これから3度目の雪かき、雪道歩きが始まる。順応しやすい子どもたちはすっかり「雪国っ子」になったか。

冬は、鉛色の空が続く会津と違って、浜通りの空は晴れて明るい。こちらの信号機は横長ですよ――などと呼びかけてみたくなるような季節を迎えた。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

ふと思った時があった

会津からは、芯のある国会議員が次々と排出される 総理を蹴った男や衆院議長をやった黄門様など 松平家はいまでも御殿様だ

八重の桜を見ていると日本の礎を作ったのがまさに会津の人たちだ

寒いと臥薪嘗胆で芯の強い人が生まれるのだろうか、経済発展がなければ政治風土が育つのだろうか

昔は会津は大金持だった
米はある水はうまい、そして木材はたっぷり切り出せて阿賀川の水運で楽に運べる

戊辰戦争の時は隠し財産を見つけるのが簡単だったという
みんな井戸に隠した
そこを探せばすぐ財宝が見つかったと

会津の人は頑固なのはそいういったプライドをもっているからだろうか?