2013年11月23日土曜日

テレビ中継車

午後6時台のNHK福島「はまなかあいづ」。11月20日に、避難者のための<まちの交流サロン「まざり~な」>を取り上げるというので、2時過ぎにはテレビ中継車がわが家(米屋)へやって来た=写真。本番のおよそ4時間前だった。

中継車は、あらかじめ許可をもらっておいた隣のコインランドリーの駐車場に陣取り、屋根のアンテナを南方の空に向けた。通信衛星に電波を発射するためだが、ちょうど小学生の下校時間に重なった。登校時にはなかった特殊な車に、子どもたちは興味津々といった様子。かくかくしかじかで生中継されることを“広報”すると、「エッ」と声をあげ、目を輝かせた。

スタッフは、マイクを握るいわき市内郷出身のキャスター宮沢結花さんのほか、スケッチブック(カンニングペーパー)を持った指示役(福島局のアナウンサー若月弘一郎さん)、カメラマン、ライトマン、生中継の技術者、運転手で、事前に連絡・調整の労を取ったいわき支局のY記者も立ち会った。

これに「出演者」である富岡町と楢葉町から避難してきた利用者のおばさん2人とカミサン、「まざり~な」活動を始めたNPOの代表が加わった。

本番までが大変だった。リハーサルはもちろん、少しでも映りがいいようにと、よけいなものを片づけ、店のクモの巣を払った。本番直前には掛け時計の針を止め、固定電話の受話器をはずし、ケータイの電源を切った。Y記者は店の前に立って、客が来れば一時足止めを願う、という役目を買って出た。それもこれも生中継に“雑音”を入れないための工夫だ。

わが家は店舗兼住宅で、店の一角に地域図書館「かべや文庫」がある。21日の小欄でも書いたが、昔は子どもたちのたまり場、今は奥さんたちのしゃべり場だ。

震災後は、空いていた近所のアパートや戸建て住宅に、主に原発事故でふるさとを追われた人たちが入居した。周りに知った人はいない。米屋で、塩・醤油を売っている、しゃべり場がある、パッチワーク用の布(きれ)も置いてある、とくれば、カミサンとなじみになるお年寄り(主婦)も出てくる。そうして、被災者の支援活動をしているNPOによる「まざり~な」活動が始まった。

その「まざり~な」を映像化するには利用者が必要だ。しかし、午後6時台である。夫のいる主婦が外出できるような時間帯ではない。楢葉町のT子さんには理由を説明しないで(すると断られる)時間を空けてもらい、富岡町のT子さんには“テレビ出演”の話をして来てもらった。下準備の段階では、キャスターが「きょうは特別に集まってもらった」ということを言うはずだったが、本番ではどこかに吹っ飛んでしまった。

どうにかこうにか無事に生中継が終わったとたん、福島市と郡山市から電話がかかってきた。近所の子どもも2人、祖父に連れられてキャスターの宮沢さんに会いに来た。翌日、知人からは「まざり~な」活動に協力する旨の連絡をいただいた。

ニュースになりやすいイベントなどとは無縁の、日常的な、地味な取り組みだが、「あつれき」報道を超えるマスメディアの新しい仕事になったのではないだろうか。確かな反響が感じ取られる生中継だった。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

これから不況の風が吹くのだろう!

福島県は、これまで賠償特需で潤っていた。8万円、4万円もらえばプチぜいたくを楽しんだ。
被災避難した人たちが身の回りの生活必需品をひとそろい買い求めた。それが終わると特需はストップする。さらに消費税が待っている。
そして若者、子供が減り続け下げ止まらない。
除染や廃炉作業で復興経費が何兆円入ってきても肌で感じられない。
こぼしていても暗くなるだけだが具体的な対策がさっぱり見えてこない。

お年寄りが温かな冬を迎えられるのか気がかりだ。