2013年12月1日日曜日

夏井川の堤防かさ上げ

もう1カ月前のことだ。日曜日と重なった文化の日、堤防の天端(てんぱ)を河口に向かって進んでくる、「歩こう会」の参加者をデジカメで撮って拡大したら、天端のラインが山形になっていた=写真。堤防のかさ上げが行われたのだ。

そこは、夏井川の水の旅が終わろうとする最後の蛇行部、河口に架かる磐城舞子橋とすぐ上流の六十枚橋の間だ。堤防改修工事による通行止めの看板が六十枚橋のそばに立っている。で、その区間の堤防天端の往来を控えていた(着工前は海を見に、ときどきこの天端を利用した)。

日曜日は「休工」になる。一時的に通れるためにわが地元の「神谷地区市民歩こう会」が開かれた。地区の青少年育成市民会議が主催した。主催者のひとりとして、河口にある目的地の沢帯(ざわみき)公園に車で先回りし、一行の到着を待った。天端ではなく、一般の道路を利用した。そのため、写真を撮るまで堤防のかさ上げを知らなかった。

東日本大震災が起きた日、津波が夏井川を逆流した。堤防や河川敷に亀裂が走った。河口から3~4キロ上流に位置する神谷地区は、水禍は免れたが、もっと上流の中州で羽を休めいたハクチョウたちは、この日を境に姿を消した。北帰行が始まっていた。逆流してきた津波に驚き、残っていた一群が旅立ちを早めたのだった。

夏井川は河口左岸で北隣の仁井田川と横川でつながっている。本来なら仁井田川は横川を介して夏井川の最後の支流になるのだが、夏井川の河口が砂で閉塞しているために、本流が逆流して仁井田川の河口で太平洋に注いでいる。

夏井川の河口閉塞は古くて新しい問題だ。ちょうど1世紀前の大正2(1913)年に脱稿、同11年に刊行された『石城郡誌』にも、海砂を排せなくなって河口がふさがった――という記述がみられる。

近年は、ブルドーザーとバックホーで河口の開削工事が繰り返されているのだが、いつの間にか閉塞してしまう。そして今度は、地震による地盤沈下が加わった。問題がいよいよ複雑になった。

震災がれきを利用して海岸堤防ができたという話は前に書いた。夏井川の堤防改修工事は? 河口の開削工事は? 夏井川ウオッチャーには、この河口部の工事は「賽の河原の石積み」に思えてしかたがない。

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