2013年12月11日水曜日

「町に戻らない」

地震・津波、原発事故の被災・避難者のための交流スペース「ぶらっと」=イトーヨーカドー平店2階=に、情報コーナーが設けてある。浜通りの自治体の広報紙や支援NPOの情報紙、イベントの告知チラシなどがそろっているので、一般の市民にも重宝だ。

コーナーにある自治体の広報紙をよく読む。正確には、中に収められた特別紙面、「浪江のこころ通信」「TOMIOKA桜通信」「KIZUNAおおくまふれあい通信」「ふるさと絆通信FUTABA」を=写真。原発事故で役場ごと避難した自治体が、苦心して編み出した“きずな”のかたちだ。

「浪江のこころ通信」は、町と東北圏地域づくりコンソーシアム推進協議会が協働して編集している。大学やNPOなどの大きなネットワークの中で取材が進められる。「KIZUNAおおくまふれあい通信」は、南相馬市の印刷所の記者がインタビューを担当している。

4つの「通信」すべてが一人称で構成されている。震災と原発事故による避難の様子、今なにをして、なにを思っているのか――。全国に離散した町民=「私」あるいは「私たち」が伝えるナラティブ(物語)は、いつ読んでも生々しい。この個別・具体のことばが、「双葉郡の人たちは」とか、「原発避難者は」とかと、ひとくくりにしてしまいがちな心を少しはもみほぐしてくれる。

復興庁の最近のアンケートによると、双葉、大熊町では「町に戻らない」と決めた避難町民が7割近くに達した。浪江でも4割近くに上昇した。

それを象徴するようなエピソードを、きのう(12月10日)の宵のNHK福島「はまなかあいづ」で知った。最初は「浪江のこころ通信」の取材をOKしていたものの、断ってきたケースが2件あったという。

「町に戻らない」と決めた人の中には、違う自治体の住民として暮らす決意をした人もいるのだろう。個人としての絆は継続しても、町民としての絆は断ち切るしかない――そう判断しての「取材NG」だったのではないか。時間の経過とともに、避難町民の意識も変化し、複雑になってきた。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

わかりません。

町が国が決められない多面的な問題で、おっしゃるように「私」個人それぞれが前向きに決めていく未来なのでしょう?

こうすればよいのにと思う反面、逃げではなく、わからないというのが本音です。

答えを持ってるのは一体誰なのでしょうか?