2013年12月27日金曜日

「防風林」のあと

おととい(12月25日)の「荒ぶる海」の続き。連休最後の日(天皇誕生日)、自宅から車で5分ほどの新舞子海岸へ荒れた海を見に行った。

海に沿って黒松の防風・防潮林が延びる。前にも書いたが、大津波をかぶって松がだいぶ枯れた。今度通ったら、松林がスカスカになっている。林内には伐採・切断された黒松が点々と積み重ねられてあった=写真

写真を撮った場所は、かつて「防風林」という喫茶店があったそば。ときどき家族で、その後は夫婦でコーヒーを飲みに出かけた店だ。喫茶店はのちに解体されて消え、黒松が密生する林は“疎林”に近い状態になった。「防風……」と読める板切れが草の生えた空き地に転がっていた。

いわき地域学會の会報「潮流」第39報(2012年発行)、折笠三郎さんの論考「東日本大震災の大津波と防潮保護林」によると、江戸時代初期、上総から磐城平に入封した内藤の殿さまが、海岸近くの田畑を守るために植林に力を入れた。新舞子の黒松林だけではない。街道に松並木を植栽した。

防潮林は以後、歴代の領主・幕府代官が保護し、明治2年の版籍奉還で国有林に編入された。

街道の松並木を含めて、地域の人々は黒松林を「道山林」と呼んできた。「道山」は殿様・内藤政長の法名「悟信院養誉堆安道山大居士」からきている。

東日本大震災では、砂丘・海岸堤防・保安林・県道・横川(夏井川と仁井田川をつなぐ)・河川堤防などが大津波の減災効果を発揮した。その代償が黒松の流失・枯死だった。

防潮林再生の事業が進められている。NPOや銀行のプロジェクトも動き出した。実際、苗木が植えられたところもある。

それはそれとして思うのは、植生は単一でない方がいいのではないか、ということだ。海岸からざっと30キロ内陸にある夏井川渓谷の天然林と向き合ってきた。渓谷には実に様々な木が共存している。「緑の民主主義」が展開されている。

沿岸もそうだろう。宮脇昭横浜国立大名誉教授が提唱する、震災ガレキを生かした「いのちを守る森の防潮堤」づくり、これは「緑の民主主義」の海岸版にちがいない。タブノキは、津波をかぶっても枯れずにすっくと立っている。森の防潮堤にはぴったりの樹種だ。そうした樹種をまじえてこそ未来への確かな贈り物になる。

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