2013年12月3日火曜日

電気ごたつ

われら夫婦が平地の自宅から車を飛ばして、夏井川渓谷の隠居(無量庵)へ着いたのは午前9時前だった。雨戸を開けていると、対岸の尾根から朝日が顔を出し、庭を照らした。草をぬらしていた露が輝きだした。

間もなく、知人のTさん母娘とフランスの女性写真家がやって来た。渓谷の空気は鼻水が垂れるほど冷たい。すぐこたつに入ってもらう。女性写真家は日本の「電気ごたつ」=写真=をどうみただろう。おしゃべりをしながら、ふとそんなことを思った。

昔、阿武隈高地の家々では(ほかのところもそうだったろうが)、冬は「掘りごたつ」で暖を取った。私の実家でもしばらく、掘りごたつの中に練炭コンロが置かれていた。練炭コンロは七輪に似る。金属製の上げ下げ板が付いていて、通気口を開閉してこたつの中の温度を調整した。今は穴がふさがれ、「電気ごたつ」に変わった。

その電気ごたつも時代遅れになりつつあるようだ。高気密・高断熱が売り物の最近のマイホームは、エアコンと床暖房でこたつ要らず、が普通らしい。日本人にとってもこたつはいつか骨董品と映るときがくるにちがいない。

年を重ねるごとに昼寝は大切な日課になってきた。夏はタオルケットをかけて、冬はこたつに入り込んで“きどこ(ろ)寝”(服を着たままの仮寝)をする――これがたまらない。頭がすっきりする。一日に二度生きられるような“誤解”が力を生む。

が、弱点もある。こたつの中であぐらをかいて仕事をするのだが、長時間同じ姿勢でいると、血の巡りが悪くなる。足を延ばしたり、立ち上がったりするのもスムーズにはいかない。掘りごたつならいすに座っているのと同じだから、できれば改造したいのだが、カミサンは「ふん」とはいっても「うん」とはいわない。

このへんのこたつのよしあし、感覚はフランス人、いや新しい日本人に伝わるだろうか。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

父も晩年よく昼寝をしてました。
私は近くに住んで何かと面倒を見て安心させたのかと思いますが、今も孝行不足だったと後悔しています。

この間も夢に現れ何もできない孝行不足の自分を責めていました。

生物はみな、老年になると寝ている時間の方が起きている時間を越えやがて静かに深い眠りにつくのでしょうか?

眠りは死への恐怖をもなくすと思います。ご飯も食べなくなり喉も通らなくなり死への序章が始まるのでしょう。

みんな同じことの繰り返してですが、死を間じかで直面することがなく現実を迎えるのかもしれません。

いつも眠ってばかりの父にもう一度会いたい。と弱い自分になってしまいました。