2014年1月1日水曜日

「みみたす」1・2・3月号

 FMいわきのPR誌「みみたす」1・2・3月号が届いた。記事が面白いので、「みみたす」設置場所に名乗りを上げた。初めて発行と同時に読んだ。

 馬産地だったいわきの中山間地・遠野を紹介している。表紙をめくった瞬間、うなった。「朝もやの入遠野」の里を絶好のタイミングでとらえている=写真。よくこんな朝早くから取材に……と思ったら、地元出身の写真屋(折笠一)さんの作品だった。

 もう20年以上前になる。古巣の地域紙の取材で入遠野へ出かけた。夕景に心が奪われた。自然と人間の関係が調和した世界だからこそ、風景は安定して、人を落ち着いた気分にさせる。夕方の景色が美しいところは朝の景色も美しい。「みみたす」最新号をながめてまずそのことを思った。

 2014年元日、いわきは晴れ。初日の出は海、街、山とそれぞれに異なった味わいがある。入遠野はどの山から初日が昇るのか。

「みみたす」を知ったのは、草野心平記念文学館で行われた昨年夏のイベントのときだった。チラシ類とともに、7・8・9月号を手渡された。小川に焦点を合わせた記事「胡瓜(きゅうり)をめぐる冒険」に引かれた。キュウリ栽培を禁忌する草野さんの家がある。なぜそうなったのかを、地元の人々の間を訪ね歩いて明らかにした。

 10・11・12月号には川前町の探訪記事が載った。葉タバコ生産地としての川前を、これまた足を使って紹介した。1・2・3月号では、鮫川と入遠野川の合流地点に立つ歌碑のエピソード、8ミリカメラで遠野の風物を撮り続けたお年寄りや、震災で壊れた炭焼き窯の再建話などをからめながら、馬産地・遠野の歴史を浮き彫りにしている。
 
 なぜ「みみたす」の記事に引かれるのだろう。理由は簡単だ。記者が地域に分け入って取材しているからだ。取材が深ければ、その地域についての考えも深くなる。暮らしの場に埋もれているニュースを掘り起こすのは、この「考える足」だ。
 
 毎日発表や催しに追われるマスメディアの記者たちには、かわいそうだがその時間がない。地域の特集でも組まない限りは、パッと来てパッと帰っていく。これではいつまでたっても深い取材はできない。その欠を、「みみたす」が補っている。要するに、足で稼いだ「物語」は面白いのだ。
 
 と、書いてきて、なぜ馬産の記事かにも思いが及んだ、今年の十二支は午(うま)である。そいう意図があったかどうかはともかく、タイミングがいいのも「物語」を面白くする。

 相馬焼には馬9頭を描いた器がある。「うま(馬)く(九頭)いく」と読ませるらしい。馬にまつわる、そうしたことわざめいたものが遠野にはなかったかどうか。そんなことを思いめぐらしながら、わが2014年が始まった。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

日本の原風景が今も残る遠野町。

夏になると入遠野川では子供と一緒に川遊び、鮎の群れと潜ってヤス突いて遊びました。

鯉のぼりが田んぼに泳ぐ春の田植え、棚田が広がる山裾の夕映え、ヒグラシが子供を家路へせきたてる晩夏、鈴なりの柿をたわわに実らせて彼岸花の脇で稲刈りをするコンバイン、満月の収穫祭。

村の鍛冶屋も和紙づくりも昔のままに。

ここはこころのふる里です。