2014年1月12日日曜日

日帰り新年会

 3連休の初日(1月11日)、1年先輩の「懇談の場」、つまりは新年会に後輩のF君とともに参加した。午後1時すぎから一次会=写真=が、同4時から場所を変えて二次会が開かれた。
 
 東京はJR飯田橋駅近く。いわきの感覚でいえば、いわき駅近くにある田町(飲み屋街)の一角で飲んでいるのと変わらない。が、さすがは東京だ。山手・総武・中央線の電車、駅、駅から会場までの人込みには圧倒された。
 
 いわき発午前9時19分の「スーパーひたち」で出かけ、上野発午後6時の「スーパーひたち」で戻った。日帰り新年会である。飲み代より足代が高いのがミソだ。特急で飲みに行っただけのかいはあった。

 福島高専に学んだ2期生8人と、3期(私)に4期(F君)の2人が顔を合わせた。F君とは2カ月ぶりだが、1年先輩の8人とは2年半ぶり~47年ぶりと親疎があるのはしかたがない。学生時代以来という人は、記憶がストップしたままだから、少年が急に老人になったようなものだ。なにか共通項を探すとしたら、それぞれが文学に傾倒していたことだろうか。

 ちゃんと卒業した者もいれば、途中で辞めた者もいる。社会に出てからはNHK職員、証券会社マン、地方議員、高校教諭として生き、学校の狙い通りにエンジニアとして歩んだ人間は少数だった。これに編集者(F君)、地域紙記者(私)を加えると、「高専文学部」出身者の集まりといったほうが早い。確かに8人は学生時代、詩を書いていた。

 同じ日、郡山市の奥座敷でも高専出身者の組織「專友会」の新年会が開かれた。私を含め2~3人が先約(こちらの会合)を理由にそちらを欠席した。

 定年退職後、大学に入学して国文学を学び、源氏物語を研究している先輩がいる。歌舞伎にも造詣が深い。今なお詩作を続けている先輩もいる。大規模半壊になって実家を建てなおした、親の実家が津波で流された、ふるさとの人たちは原発事故で避難を余儀なくされた――。先輩たちの「現在」に刺激を受ける一方で、あらためて3・11の傷の深さを感じないではいられなかった。

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