2014年1月17日金曜日

切絵図カレンダー

 3・11前はときどき、江戸の切絵図(もちろんブックレットなど)をながめては、日本橋かいわいにタイムスリップをして楽しんだものだ。
 
 江戸時代後期、いわきの專称寺で修行した坊さん俳人(俳僧)に、一具庵一具(1781~1853年)がいる。大江戸では、日本橋に近い北槇町(現在の東京駅東側、八重洲二丁目付近)に住んだ。切絵図「日本橋南の図」=写真=には「上槇町」「冨槇町」「南槇町」(日本橋から7~10区画辺り)しかないが、南槇町より北側、日本橋寄りにあったことは間違いないだろう。
 
「タイムスクープハンター」となって、日本橋から発する大通り(東海道)に立つ。すると、一具のほかに、歌川(安藤)広重(1797~1858年)が通り過ぎたり、北辰一刀流の千葉周作(1793~1856年)が歩いていたりする、のを目撃したようなつもりになれる。
 
 そんな想像力をはたらかせてみたくなったのは、先日、「まちの落語家」古扇亭唐変木さんから、彼の会社の切絵図カレンダーをもらったからだ。一具のすまいがあった槇町の切絵図は、5月のカレンダーに使われていた。
 
 切絵図に興味を持ったのは、池波正太郎の「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕掛人・藤枝梅安」に刺激されたことも大きい。江戸の名所、季節の食べ物、花、鳥、……。いつの間にか、小説のなかで江戸の町を行き来していた。

 東京その他へ出かけたときに、時間があれば神社仏閣などの写真を撮る。たとえば、芝・増上寺。江戸時代前期にいわき出身の名僧祐天上人が住職を務めた。鬼平犯科帳の舞台にもなっている。そこで、2012年10月27、28日、創立40周年を記念するシャプラニールのフエスティバルが開かれた。

 フエスティバル会場の大殿(本堂)地下、三縁ホールへもぐりこむ前に、安国殿を撮影した。俳僧一具が拝観して句を詠んでいる。<湯をひかぬ身にこたへけり雪の梅>。「蝋月(12月)17日、安国殿拝瞻(はいせん)。風邪を引きければ」という前書きがある。太陽暦ではちょうどきょう、1月17日がそれに当たる。阪神・淡路大震災の日に、たまたま一具の俳句を思い出した。

 一具俳句を理解するために、前書きをヒントにして足跡を訪ねる、ということをしてきたが、ここ10年余は中断したままだった。3・11後、シャプラと増上寺が結びついたので、“現地取材”を再開した。

先日、飯田橋で開かれた“日帰り新年会”では、帰りに上野駅で「深川めし」の駅弁を買った。「鬼平犯科帳」を思い出して、つい手が出た。これもつかの間の江戸遊び。

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